『ピッピ』の魅力を荒井良二が解く。子どもも大人も自由でいい

ちょっぴりずる賢く、大人も顔負けの力持ち……けっしてお行儀は良くないけれど、じつは心優しい女の子が周囲を巻き込み大活躍する物語『長くつ下のピッピ』。この児童文学の傑作を中心に、著者アストリッド・リンドグレーンの作品世界や人生をひもとく展覧会『長くつ下のピッピの世界展 ~リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち~』が、八王子市の東京富士美術館で開催されています。

1907年に生まれ、2002年に没したリンドグレーンは、スウェーデンの国民的な児童文学作家。『やかまし村の子どもたち』や『ちいさいロッタちゃん』などの作品でも知られ、その著書は100か国以上の言語に翻訳されています。いっぽう、子どもの人権のために戦うオピニオンリーダーでもあった彼女。虐待を禁じる法律を世界に先駆けて制定するきっかけをつくるなど、その影響は広く現在のスウェーデンに行き渡っています。

そんなリンドグレーンの作品の魅力に迫る本展覧会を、2005年に『アストリッド・リンドグレーン記念文学賞』をアジア人としてはじめて受賞した、絵本作家の荒井良二とめぐります。「絵本は子どものもの」という常識を破り、見る人の感性を刺激する絵本を描いてきた荒井は、この展示にどんなことを感じるのでしょうか? そこからは、子どもを通して「人間」に向き合う両者の共通点も見えてきました。

世界中で愛される『ピッピ』の物語は、一人の少女のためにつくられた

おなじみのくるくるヘアに、丸メガネ姿で会場に現れた荒井さん。さっそく、リンドグレーン作品についてお聞きしたところ、「じつは賞をもらうまで、アストリッドの作品はそれほどたくさん読んでいたわけではないんです」との答えが。

荒井:もちろん、子どものころにピッピには触れていたし、イラストレーターを始めた20代後半にはあらためて読み直したりもしました。だけど日本だと、アストリッドの名前より、『長くつ下のピッピ』という作品のほうが有名でしょ? 僕も賞をもらうまでは、そのくらいの印象だったんです。

荒井良二さん
荒井良二さん

そう語る荒井さんを連れて、いざ展覧会へ。第1章では『長くつ下のピッピ』の世界がひも解かれます。いまでは不朽の名作となったこの作品ですが、その誕生の瞬間は驚くほど個人的なものでした。

それは、世界で大きな戦争が起きていた1941年の冬のこと。リンドグレーンは風邪で寝込んでいた愛娘から、「長くつ下のピッピ」という女の子の話をしてほしいと求められます。このとき、リンドグレーンがその名前に合わせて即興で語った物語こそ、のちの作品の原型になったものです。この物語は1945年に出版されると人気となり、デンマークのイラストレーター、イングリッド・ヴァン・ニイマンの強力な挿絵を得て、世界へと広がっていきました。

『長くつ下のピッピ』出版社用ポスターの原画前にて
『長くつ下のピッピ』出版社用ポスターの原画前にて

いっぽう、展覧会の入口に置かれているのは、1944年にリンドグレーンが娘の誕生日プレゼントとして自ら制作した『オリジナルピッピ』。つまり、ニイマンの挿絵がつく前のきわめてプライベートな本なのです。担当学芸員の平谷美華子さんは今回この本に触れて、その精巧さに驚いたと話します。

アストリッド・リンドグレーン作・画 『オリジナルピッピ』 1944年 カーリン・ニイマン(リンドグレーンの娘)私物<br>
Text and illustration Astrid Lindgren © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of The Astrid Lindgren Company
アストリッド・リンドグレーン作・画 『オリジナルピッピ』 1944年 カーリン・ニイマン(リンドグレーンの娘)私物
Text and illustration Astrid Lindgren © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of The Astrid Lindgren Company

平谷:リンドグレーンは娘にプレゼントするため、自分で文字をタイプし、絵を描き、箱も手がけています。驚いたのは、70年以上も前のものなのに、本が箱にぴったりと収まること。彼女の繊細さがよく表れていますよね。

学芸員の平谷美華子さん(左)
学芸員の平谷美華子さん(左)

思いやりが詰まったこの絵は、さっそく荒井さんの目にも響いたようです。

荒井:世の中に向けてというより、目の前の「この子」を喜ばせるために描かれた絵。愛情が感じられるね。子どものためのものって、あとで世の中に出たものでも、最初は一対一から生まれるというのが基本にあると思う。画家のパウル・クレー(1879~1940年)も息子のために人形劇用の人形や舞台をつくった。一対一だからこそ、普遍性も出るんだよね。

「挿絵のはみ出しっぷりが、ピッピの世界観によく合っている。だけど、原画はとても繊細でもっと素晴らしい」

つづく一角には、ユネスコの「世界の記憶(歴史的な書物を保全し、広く公開することを目的とした国際事業)」にも登録されている、さきほどのニイマンによるオリジナル原画が展示されています。ニイマンは、リンドグレーンが絶対の信頼を置いた最高の相棒でした。でも、スウェーデンとデンマークに住んでいた二人は、どのように出会ったのでしょうか?

平谷:リンドグレーンは1926年、19歳のときにある男性との息子を授かりました。しかし、この出産には複雑な事情があったため、彼女は泣く泣く息子をデンマークの里親に預け、頻繁に訪れるようになったんです。そこで出会ったのがニイマン。彼女は当時から男性用の服を着て、自由な性格の、ピッピのような女性だったそうです。

そんなニイマンの描く絵は、展覧会を通して荒井さんがもっとも強く反応し続けたものでした。じつは『長くつ下のピッピ』の挿絵について、「言葉は悪いけど、いい意味でヘタさが良いなと。そのはみ出しっぷりがピッピの世界によく合っている」と感じていたという荒井さん。ところが原画を見始めてすぐ、その表情は変わりました。

イングリッド・ヴァン・ニイマン 「『ピッピ 船にのる』挿絵原画」1952年 スウェーデン王立図書館所蔵(ユネスコ“世界の記憶”登録)<br>
Illustration Ingrid Vang Nyman © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of the National Library of Sweden, Stockholm
イングリッド・ヴァン・ニイマン 「『ピッピ 船にのる』挿絵原画」 1952年 スウェーデン王立図書館所蔵(ユネスコ“世界の記憶”登録)
Illustration Ingrid Vang Nyman © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of the National Library of Sweden, Stockholm

荒井:ちょっと待って。この原画の線、すごくきれいだよ。印刷された線はもっと太くなっているんだけど、なんで太くしたんだろう。原画の線はとても繊細で、もっと素晴らしい。これ、すごく良いですね。

あまりに身近だからこそ、見落としていた作品の魅力。それが、この会場にはあふれているようです。

荒井さんの驚きは、漫画版『長くつ下のピッピ』の展示でも続きました。この漫画は、リンドグレーンの勤務先の出版社が刊行していた子ども向け雑誌で連載されていたもの。作画はもちろん、ニイマンです。

見てみると、一コマごとに登場人物の動きが生き生きと描写されており、まるで優れたアニメーション作品を見ているよう。台詞はキャプションで読めますが、文字情報がなくても伝わる説得力があります。

漫画版の原画展示
漫画版の原画展示

荒井:漫画だから「子ども向け」と謳われているけど、それを超えたクオリティーですね。内容はドタバタ劇だけど、整理された線がそれを上品に見せている。僕、もともと赤塚不二夫や『ピーナッツ』の(チャールズ・M・)シュルツ、フランスの(ジャン=ジャック・)サンペの洒脱な線画に憧れていたの。ニイマンの絵にはそういう人たちと同じような、見ていたくなる丁寧さがあるよね。

「ピッピの目は東洋的! 平坦で細部を省略した描き方は、浮世絵のようでもあるね」

さらに足を進めると、ピッピたちのパーティーの様子を描いた大きなタペストリーや、ニイマンが模写したというアジア風の女の子の絵が。「これはなんだろう?」と思っていると、平谷さんが意外なことを話し始めました。

平谷:じつはニイマンは、北斎漫画など日本の絵に強い関心を持っていたんです。日本大使館の職員の子どもを、絵のモデルにしたいと言っていたほどなんですよ。このパーティーの絵に描かれた壺や右端の市松模様には、その憧れの強さが表れています。またリンドグレーンも、能面を集めたりと同じ関心を共有していたようです。

赤い棚の上にある壷の絵柄や、右側に描かれたキッチンタオルの市松模様が日本的
赤い棚の上にある壷の絵柄や、右側に描かれたキッチンタオルの市松模様が日本的

リンドグレーンの書斎に置かれていたアイテムを展示。そのなかには、能面(左下)が
リンドグレーンの書斎に置かれていたアイテムを展示。そのなかには、能面(左下)が

日本とのつながりは、荒井さんも初耳だった模様。話を聞きながら、あることに気がついたようです。

荒井:僕がずっとピッピの絵に感じていた、どこかはみ出たモヤモヤした感じ。その正体は、もしかしてニイマンが日本の絵から学んだものを活かしていたからなのかもしれないね。あらためて見ると、たしかにピッピの目は東洋的! 平坦で細部を省略した描き方は、浮世絵的でもある。種明かしされた気分だね。

荒井良二さん

子どもだけじゃなくて、大人にも「自由」はある。それを忘れないでほしい

このほかにも第1章には、ピッピの家「ごたごた荘」を再現した大型模型や、荒井さんが「日本人が描いたとは思えないほど西洋風」と語る、桜井誠さんの挿画も展示されています。

ところで、暴れん坊で、大人から見ればけっしてお行儀のよくないピッピの存在が、これほど世界中の人々を惹きつけた理由とは何なのでしょうか。

平谷:ピッピのキャラクターの背景には、物語が生まれた当時の戦争孤児の存在もあります。ピッピ自身、お父さんは行方のわからない船乗りで、お母さんは天国にいるという、「孤児」として描かれている。当時のヨーロッパ社会では、子どもが一人で生きていくことが珍しくなかったようです。

そんななかで、大人顔負けの知恵やパワーでさまざまな困難に立ち向かうピッピの姿は、スウェーデンをはじめ世界中の子どもたちの励ましになったのではないかと思います。

人間にもともと備わった、生きる力。それを、リンドグレーンはほかの作品でも繰り返し追求しました。展覧会後半の第3章では、『長くつ下のピッピ』以外のリンドグレーン作品の原画や関連の展示物が楽しめます。

『やかまし村の子どもたち』は、リンドグレーンの父親の故郷をモデルにした、家が3軒しかない村に住む6人の子どもを描いた作品。大自然のなか、子どもたちは男の子も女の子もごちゃ混ぜになりながら、いろんな遊びや冒険を繰り広げます。この作品からは、40代で早逝してしまったニイマンの跡を継ぎ、エストニア生まれのイロン・ヴィークランドが挿絵を手がけました。

いっぽう、町に暮らすロッタちゃんとその一家を描いたのが『ちいさいロッタちゃん』です。3人兄妹の末っ子ロッタちゃんは、世の中のあらゆることを知っている、ちょっと生意気な女の子。けれど、両親はそんな彼女に、つねに愛情を持って接します。このロッタちゃん、日本では奈良美智さんの絵でも有名です。

『ちいさいロッタちゃん』
『ちいさいロッタちゃん』

このように見てみると、リンドグレーンがいつも子どもを、大人が押さえつけることなどできないパワーを持った、固有の世界を生きる存在として描いていることが見えてきます。

荒井:人間には、もともと生きるための野性やエネルギーがあると思うんです。でも、大人は子どもがまだ何もはみ出していないうちから、「はみ出しちゃダメ」と、それを押さえ込んでしまうでしょ? 大人の社会に馴染むことは悪いことではないけど、人間が持つ本来のエネルギーを知っておくことは大事だと思う。

彼女は物語を通して、子どもだけではなくて大人にも、「ピッピやロッタちゃんのような自由さが、あなたにもある。その自由を忘れないでいることは大事だよ」ということを伝えたかったんじゃないかな。

巨匠・宮﨑駿もアニメ化を悲願した名作を生んだ、リンドグレーンの人生とは?

会場には、リンドグレーンに影響や刺激を受けたアーティストによる、トリビュート作品が飾られた一角もあります。

同じスウェーデン出身の陶芸作家リサ・ラーソンは、1960年代にピッピの人形を制作。荒井さんが「しっかりとした立ち姿がカッコいい!」と見入っていたこの人形は、リンドグレーンのお気に入りでもありました。リサ・ラーソンは今回の展覧会のために、馬を持ち上げるピッピの新作人形も制作しています。

リンドグレーンと交流のあったリサ・ラーソンが、1960年につくったピッピ人形
リンドグレーンと交流のあったリサ・ラーソンが、1960年につくったピッピ人形

映画監督の宮﨑吾朗さんは、2014年にリンドグレーンの最晩年の長編『山賊の娘ローニャ』をテレビアニメとして制作しました。じつは宮﨑さんの父・駿さんは、かつて高畑勲さんらと『長くつ下のピッピ』のアニメ化を企画し、断念した経験を持ちます。リンドグレーン作品は、日本のアニメ界からも世代を超えて大きな尊敬を集めてきたのです。

ところで、こうした作品を生み出したリンドグレーンとは、一体どんな人物だったのでしょうか? 最後に荒井さんと、彼女の人生にスポットを当てた第2章の会場へと向かいました。

リンドグレーンは、「やかまし村」のモデルとなったスウェーデンの南部に位置するスモーランド地方の農場で子ども時代を過ごしました。同地方にある彼女のお墓も訪れた荒井さんによれば、そこは「丘がずっと続いている丘陵地帯」。ここで自然と触れ合い育った彼女は、高齢になってからも木登りをするような子ども心を持ち続けました。

木登りをするリンドグレーンの写真
木登りをするリンドグレーンの写真

平谷:お孫さんやひ孫さんによると、彼女はいくらでも幼少期を思い出したり、目の前の子どもの気持ちを理解したりすることができたそうです。世界中の彼女のファンから届く手紙にも、一通ずつ丁寧に返事を書いていたようですね。

いっぽう、その人生に深い影を落としていたのが、さきほどの里子に出した息子の存在でした。リンドグレーンはある場所で、こう述べています。

「あの子の泣き声が私のなかで、いつもいつも響いているのです。どんな状況においても、私が我を忘れて子どもの味方をしてきた理由は、この泣き声にあるのだと思います」

「死」や「悪」といった、児童文学ではタブー視されがちなテーマも堂々と扱うリンドグレーンの作品。ピッピの背後にあった戦争孤児も含め、その創作は人生の暗さにも支えられていたのです。

「暴力は絶対だめ!」授賞式でのスピーチが、母国の法制をも変えた

2015年、彼女の姿はピッピと一緒にスウェーデン紙幣になりました。この理由を平谷さんは、「彼女の活動が本づくりにとどまらず、国や時代を超える普遍性を持っていたからではないか」と話します。

実際、リンドグレーンはその社会的な行動によって、スウェーデンに子育ての先進的な考え方を根づかせました。それを象徴するのが、1978年にドイツ書店協会平和賞を受賞したときのエピソードです。

彼女は受賞の連絡を受けたさい、スピーチを授賞式への参加条件としました。そして行われたのが、子育てにおける暴力の不要性を説く「暴力は絶対だめ!」です。このスピーチは議論を呼び、翌年、スウェーデンにおいて世界ではじめてとなる、子どもへの肉体的・精神的な暴力を禁じる法律が生まれたのです。

ちなみに、日本語版『暴力は絶対だめ!』の表紙を描いているのが荒井さん。あらためてそのスピーチを聞き、こう感じたと言います。

荒井:やっぱりこういう人がもっといないとダメだよね。いま、世の中に対して直接的な行動を起こすのは、ますます難しい時代になっていると思うんです。それでも、ほかの表現者と比べて子どもの本をつくっている人は、それを比較的やりやすい立場にある。声を出せるアストリッドのような人を、「珍しい存在」にしちゃダメだと思う。

荒井さんが表紙を手がけた『暴力は絶対にだめ!』も展示されている
荒井さんが表紙を手がけた『暴力は絶対にだめ!』も展示されている

「子ども用にしつらえた物語ではなく、人間に開かれたものを与える作家こそ、信頼できる本物だと思う」

こうして、約1時間半にわたる鑑賞は終了。会場を回りながら印象的だったのは、荒井さんがリンドグレーンや自身の仕事をけっして「子ども向け」とは言わず、つねに「人間」と結びつけていたことでした。

荒井:僕の好きな絵本作家で、マーガレット・ワイズ・ブラウンという人がいるんだけど、彼女は「子どもの本をつくる作家は、人間のために開かれたものをつくる人でないといけない」と言っているんです。

つまり、子ども用にしつらえた物語をつくるんじゃなくて、ひろく人間に開かれたものを子どもに与えるということ。そんな作品をつくる作家こそが信頼できる本物だと思うし、アストリッドもそう考えていたんじゃないかな。

「だから、絵本や児童文学って『幼稚』じゃないんだよ」と荒井さん。いっぽう、日本で「子ども向け」と言われる作品や商品には、その対象のリテラシーを過度に低く見積もったものが多いようにも感じます。

平谷:たしかにリンドグレーンをはじめ、北欧の児童文学には、大人のリアルをきちんと子どもにも伝えるものが多いんです。子どもを、むやみに子ども扱いしないというか。私は美術館で鑑賞教育を担当しているんですけど、保育士さんや学校の先生のなかには、「子どもにはわからないだろう」と、最初から連れてくるのを止めてしまうケースも多い。けれど、感性がどこで磨かれるのかなんて、わからないものだと思うんです。

荒井:本当にそうだよね。子どもを尊重する度合いが、スウェーデンと日本では少し違うのかも。僕、「受ける」という言葉がすごく嫌いなんです。「こういうのが子どもには受ける」とか。それって、大人が予想通りの反応があるから嬉しいだけの話でしょう。でも、子どもはもっと多くのことをしっかり感じているんですよ。

荒井良二さん

最後、会場の出口へと向かう荒井さんに、全体を通しての感想をお聞きしました。

荒井:とても面白かったです。漫画も初めて見たし、日本の絵からの影響も発見だった。アストリッドの作品を読んだ記憶がある人や、子どもに接する多くの人に見てほしい。最初にも言ったけど、彼女のイメージって日本だと「ピッピの人」でしょ? だけどこの展覧会は、一歩も二歩も踏み込んでそのイメージをグッとひろげてくれる。僕の印象も、だいぶ変わったね。

その作品と人生を通して、子どもの自由と可能性を訴え続けたリンドグレーン。彼女の活動は、いまでは子どもたちを見守る側になった大人の胸にこそ、響くものを持っているかもしれません。

展示の最後はリンドグレーンの言葉で締めている。偶然にも、荒井さんの作業場に、これと同じメッセージが飾られているという
展示の最後はリンドグレーンの言葉で締めている。偶然にも、荒井さんの作業場に、これと同じメッセージが飾られているという

イベント情報
日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念
『長くつ下のピッピ™の世界展 ~リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち~』

2018年7月28日(土)~9月24日(月・祝)
会場:東京 八王子 東京富士美術館 本館・企画展示室1~4
時間:10:00~17:00(16:30受付終了)
休館日:月曜(9月17日は開館、9月18日は休館)
料金:大人1,300円、大学高校生800円、中小学生400円
※未就学児無料、土曜は中小学生無料のほか、誕生日当日の来館は本人のみ無料(証明書提示)
※障がい児者、付添者1名は半額(証明書提示)

全国巡回情報

2018年12月15日(土)~2019年1月27日(日)
会場:宮崎県 みやざきアートセンター

2019年2月8日(金)~3月4日(月)
会場:京都府 美術館「えき」KYOTO

2019年4月27日(土)~6月16日(日)
会場:愛知県 松坂屋美術館

2019年7月6日(土)~8月25日(日)
会場:福岡県 福岡市博物館
※予定

2019年9月7日(土)~11月4日(月)
会場:愛媛県 愛媛県美術館

プロフィール
荒井良二 (あらい りょうじ)

アーティスト / 絵本作家。1956年山形県生まれ。2005年に『ルフランルフラン』で日本絵本賞を、2012年に『あさになったので まどをあけますよ』で第59回産経児童出版文化賞大賞を受賞するなど、日本を代表する絵本作家の一人として国内外で活躍。2005年には児童文学賞の最高峰「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」をアジア人で初めて受賞。スウェーデンで行われた受賞スピーチでは、歌を披露したという。2010年と2012年に郷里の山形市で個展『荒井良二の山形じゃあにぃ』を開催するほか、現在は、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」の芸術監督も務める。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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