『ピッピ』の魅力を荒井良二が解く。子どもも大人も自由でいい

『ピッピ』の魅力を荒井良二が解く。子どもも大人も自由でいい

インタビュー・テキスト
杉原環樹
撮影:鈴木渉 編集:青柳麗野
2018/09/10
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ちょっぴりずる賢く、大人も顔負けの力持ち……けっしてお行儀は良くないけれど、じつは心優しい女の子が周囲を巻き込み大活躍する物語『長くつ下のピッピ』。この児童文学の傑作を中心に、著者アストリッド・リンドグレーンの作品世界や人生をひもとく展覧会『長くつ下のピッピの世界展 ~リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち~』が、八王子市の東京富士美術館で開催されています。

1907年に生まれ、2002年に没したリンドグレーンは、スウェーデンの国民的な児童文学作家。『やかまし村の子どもたち』や『ちいさいロッタちゃん』などの作品でも知られ、その著書は100か国以上の言語に翻訳されています。いっぽう、子どもの人権のために戦うオピニオンリーダーでもあった彼女。虐待を禁じる法律を世界に先駆けて制定するきっかけをつくるなど、その影響は広く現在のスウェーデンに行き渡っています。

そんなリンドグレーンの作品の魅力に迫る本展覧会を、2005年に『アストリッド・リンドグレーン記念文学賞』をアジア人としてはじめて受賞した、絵本作家の荒井良二とめぐります。「絵本は子どものもの」という常識を破り、見る人の感性を刺激する絵本を描いてきた荒井は、この展示にどんなことを感じるのでしょうか? そこからは、子どもを通して「人間」に向き合う両者の共通点も見えてきました。

世界中で愛される『ピッピ』の物語は、一人の少女のためにつくられた

おなじみのくるくるヘアに、丸メガネ姿で会場に現れた荒井さん。さっそく、リンドグレーン作品についてお聞きしたところ、「じつは賞をもらうまで、アストリッドの作品はそれほどたくさん読んでいたわけではないんです」との答えが。

荒井:もちろん、子どものころにピッピには触れていたし、イラストレーターを始めた20代後半にはあらためて読み直したりもしました。だけど日本だと、アストリッドの名前より、『長くつ下のピッピ』という作品のほうが有名でしょ? 僕も賞をもらうまでは、そのくらいの印象だったんです。

荒井良二さん
荒井良二さん

そう語る荒井さんを連れて、いざ展覧会へ。第1章では『長くつ下のピッピ』の世界がひも解かれます。いまでは不朽の名作となったこの作品ですが、その誕生の瞬間は驚くほど個人的なものでした。

それは、世界で大きな戦争が起きていた1941年の冬のこと。リンドグレーンは風邪で寝込んでいた愛娘から、「長くつ下のピッピ」という女の子の話をしてほしいと求められます。このとき、リンドグレーンがその名前に合わせて即興で語った物語こそ、のちの作品の原型になったものです。この物語は1945年に出版されると人気となり、デンマークのイラストレーター、イングリッド・ヴァン・ニイマンの強力な挿絵を得て、世界へと広がっていきました。

『長くつ下のピッピ』出版社用ポスターの原画前にて
『長くつ下のピッピ』出版社用ポスターの原画前にて

いっぽう、展覧会の入口に置かれているのは、1944年にリンドグレーンが娘の誕生日プレゼントとして自ら制作した『オリジナルピッピ』。つまり、ニイマンの挿絵がつく前のきわめてプライベートな本なのです。担当学芸員の平谷美華子さんは今回この本に触れて、その精巧さに驚いたと話します。

アストリッド・リンドグレーン作・画 『オリジナルピッピ』 1944年 カーリン・ニイマン(リンドグレーンの娘)私物<br>
Text and illustration Astrid Lindgren © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of The Astrid Lindgren Company
アストリッド・リンドグレーン作・画 『オリジナルピッピ』 1944年 カーリン・ニイマン(リンドグレーンの娘)私物
Text and illustration Astrid Lindgren © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of The Astrid Lindgren Company

平谷:リンドグレーンは娘にプレゼントするため、自分で文字をタイプし、絵を描き、箱も手がけています。驚いたのは、70年以上も前のものなのに、本が箱にぴったりと収まること。彼女の繊細さがよく表れていますよね。

学芸員の平谷美華子さん(左)
学芸員の平谷美華子さん(左)

思いやりが詰まったこの絵は、さっそく荒井さんの目にも響いたようです。

荒井:世の中に向けてというより、目の前の「この子」を喜ばせるために描かれた絵。愛情が感じられるね。子どものためのものって、あとで世の中に出たものでも、最初は一対一から生まれるというのが基本にあると思う。画家のパウル・クレー(1879~1940年)も息子のために人形劇用の人形や舞台をつくった。一対一だからこそ、普遍性も出るんだよね。

「挿絵のはみ出しっぷりが、ピッピの世界観によく合っている。だけど、原画はとても繊細でもっと素晴らしい」

つづく一角には、ユネスコの「世界の記憶(歴史的な書物を保全し、広く公開することを目的とした国際事業)」にも登録されている、さきほどのニイマンによるオリジナル原画が展示されています。ニイマンは、リンドグレーンが絶対の信頼を置いた最高の相棒でした。でも、スウェーデンとデンマークに住んでいた二人は、どのように出会ったのでしょうか?

平谷:リンドグレーンは1926年、19歳のときにある男性との息子を授かりました。しかし、この出産には複雑な事情があったため、彼女は泣く泣く息子をデンマークの里親に預け、頻繁に訪れるようになったんです。そこで出会ったのがニイマン。彼女は当時から男性用の服を着て、自由な性格の、ピッピのような女性だったそうです。

そんなニイマンの描く絵は、展覧会を通して荒井さんがもっとも強く反応し続けたものでした。じつは『長くつ下のピッピ』の挿絵について、「言葉は悪いけど、いい意味でヘタさが良いなと。そのはみ出しっぷりがピッピの世界によく合っている」と感じていたという荒井さん。ところが原画を見始めてすぐ、その表情は変わりました。

イングリッド・ヴァン・ニイマン 「『ピッピ 船にのる』挿絵原画」1952年 スウェーデン王立図書館所蔵(ユネスコ“世界の記憶”登録)<br>
Illustration Ingrid Vang Nyman © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of the National Library of Sweden, Stockholm
イングリッド・ヴァン・ニイマン 「『ピッピ 船にのる』挿絵原画」 1952年 スウェーデン王立図書館所蔵(ユネスコ“世界の記憶”登録)
Illustration Ingrid Vang Nyman © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of the National Library of Sweden, Stockholm

荒井:ちょっと待って。この原画の線、すごくきれいだよ。印刷された線はもっと太くなっているんだけど、なんで太くしたんだろう。原画の線はとても繊細で、もっと素晴らしい。これ、すごく良いですね。

あまりに身近だからこそ、見落としていた作品の魅力。それが、この会場にはあふれているようです。

荒井さんの驚きは、漫画版『長くつ下のピッピ』の展示でも続きました。この漫画は、リンドグレーンの勤務先の出版社が刊行していた子ども向け雑誌で連載されていたもの。作画はもちろん、ニイマンです。

見てみると、一コマごとに登場人物の動きが生き生きと描写されており、まるで優れたアニメーション作品を見ているよう。台詞はキャプションで読めますが、文字情報がなくても伝わる説得力があります。

漫画版の原画展示
漫画版の原画展示

荒井:漫画だから「子ども向け」と謳われているけど、それを超えたクオリティーですね。内容はドタバタ劇だけど、整理された線がそれを上品に見せている。僕、もともと赤塚不二夫や『ピーナッツ』の(チャールズ・M・)シュルツ、フランスの(ジャン=ジャック・)サンペの洒脱な線画に憧れていたの。ニイマンの絵にはそういう人たちと同じような、見ていたくなる丁寧さがあるよね。

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イベント情報

日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念
『長くつ下のピッピ™の世界展 ~リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち~』

2018年7月28日(土)~9月24日(月・祝)
会場:東京 八王子 東京富士美術館 本館・企画展示室1~4
時間:10:00~17:00(16:30受付終了)
休館日:月曜(9月17日は開館、9月18日は休館)
料金:大人1,300円、大学高校生800円、中小学生400円
※未就学児無料、土曜は中小学生無料のほか、誕生日当日の来館は本人のみ無料(証明書提示)
※障がい児者、付添者1名は半額(証明書提示)

全国巡回情報

2018年12月15日(土)~2019年1月27日(日)
会場:宮崎県 みやざきアートセンター

2019年2月8日(金)~3月4日(月)
会場:京都府 美術館「えき」KYOTO

2019年4月27日(土)~6月16日(日)
会場:愛知県 松坂屋美術館

2019年7月6日(土)~8月25日(日)
会場:福岡県 福岡市博物館
※予定

2019年9月7日(土)~11月4日(月)
会場:愛媛県 愛媛県美術館

プロフィール

荒井良二(あらい りょうじ)

アーティスト / 絵本作家。1956年山形県生まれ。2005年に『ルフランルフラン』で日本絵本賞を、2012年に『あさになったので まどをあけますよ』で第59回産経児童出版文化賞大賞を受賞するなど、日本を代表する絵本作家の一人として国内外で活躍。2005年には児童文学賞の最高峰「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」をアジア人で初めて受賞。スウェーデンで行われた受賞スピーチでは、歌を披露したという。2010年と2012年に郷里の山形市で個展『荒井良二の山形じゃあにぃ』を開催するほか、現在は、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」の芸術監督も務める。

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