アート作品から工芸品、料理まで、ものを作る上で重要になってくる作り手の「こだわり」。北欧の「クラフトマンシップ×最先端技術」をテーマにした『Fika』では、さまざまな作り手の「クラフトマンシップ」、もの作りに対する「こだわり」の姿勢を明らかにしている。
今回、インタビューに応じてくれたのは映画監督の山下敦弘。『リンダ リンダ リンダ』や『もらとりあむタマ子』など、社会のはぐれものに対する温かなまなざしを持った作品を次々生み出し、2018年11月に公開された最新作『ハード・コア』も話題となっている山下監督は、どんな思いでもの作りに取り組んでいるのか? インタビューの中で、彼が「こだわり」に対して肯定的な考えだけを持っているわけでないことが見えてきた。
みんなで同じ方向を見て、ものを作るという「場」が好きなんですよね。
—大阪芸術大学芸術学部映像学科の卒業制作作品『どんてん生活』(1999年)で映画監督として世間に出てから20年の歳月が過ぎました。それから、自身の中で映画監督という存在に対するイメージは変化しましたか?
山下:(大阪芸大の先輩)熊切和嘉さんは『鬼畜大宴会』(1998年)でセンセーショナルに登場したじゃないですか。僕の場合は『どんてん生活』という学生映画を作って、一応劇場公開はさせてもらったものの、一部の映画の好きな人が知ってる、くらいから始まって。で、一般的に認知されたのが『リンダ リンダ リンダ』(2005年)ぐらいからで、ゆるやかな流れなんです。特に僕の場合、脚本が向井(康介)だったり、撮影が近藤(龍人)くんだったり、大学からのメンバーで一緒にやってきたんで、「自分は監督である」という自覚が薄いまま、徐々に意識していったんですね。
40代になると「若手監督」と言われなくなって、ただの「監督」と言われるようになる。それでようやく、「あ、自分は監督なんだよな」と再確認しました。それまでは「何者でもない」という思いで、名のある映画監督たちの隙間で作品を作ってきた感じもあったんですけど。いまはシネコンで自分の映画がかかってるわけですよね。薄々3年ぐらい前から気づいてたんですけど、それを意識しないようにしてたんです。
山下:すべては大学時代の『鬼畜大宴会』での出会いからスタートしているから、なかなか自分の意識を変えられない。いちばん学生時代の友人たちに依存してるのは僕かもしれないですね(笑)。僕の場合は、自分ひとりだとなにもできない。自主映画出身って、だいたい脚本と監督を兼ねてるじゃないですか。僕はそれすらできなかったんですよ。最初はカッコつけて「自分で脚本を書く」って言ったんですけど、結局書けなくて向井に書いてもらってる。
熊切さんとかも含めて大学時代のメンバーが自分を監督にしてくれた感じはすごくあります。自分でも思うんだけど、演出しかしてないインディーズ出身の監督ってめずらしいなと。そういう経緯で映画を作ってきた、ちょっと特殊な監督ではあるのかもしれません。
—山下監督が突出している点は、まさにそこだと思います。演出に専念している。
山下:昔から、みんなで同じ方向を見て、ものを作るという「場」が好きなんですよね。ひとりで作業するのが大嫌いなんです。さみしい、というか、自分の中から出てくるものをイメージして書くとつまんない。
—以前、近藤さんはかなり演出に食い込んでくる撮影監督だから、彼と組む以上は監督としてかなり闘う必要があるとおっしゃっていましたよね。
山下:そうですね。近藤くんは演出してくるし、本人はそんな意識ないと思うけど、試されてる感じがすごくするんですね。「お前、これでいいの?」と。
脚本も同じで、学生時代から仲の良い向井との(独特の)距離感がずっとあって。他の人とやることで、向井や近藤くんと次にやるときにフィードバックされることもあるし、錚々たる監督とやってる2人だから、逆に僕に意見言うこともあるし。でも、3人が集まるとヘンな世界になるんですよ(笑)。3人にしかわからない世界を作って、コントロールできないなにかが生まれてしまう。
プロフィール
- 山下敦弘(やました のぶひろ)
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1976年生まれ。大阪芸術大学映像学部入学後、短編映画を製作。卒業制作で初の長編『どんてん生活』を発表、2000年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門にて、グランプリを獲得。代表作に『くりいむレモン』(2004)、『リンダリンダリンダ』(2005)、『ユメ十夜第八夜』(2007、オムニバス)、『松ヶ根乱射事件』(2007)がある。最新作は『ハード・コア』(2018)。