元SIMI LAB・DyyPRIDEが抱く自殺衝動と創作による救い

元SIMI LAB・DyyPRIDEが抱く自殺衝動と創作による救い

インタビュー・テキスト
宮田文久
撮影:垂水佳菜 編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)
2019/09/17
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熱い支持を集めたラッパーとしてSIMI LABの活動を経て、檀廬影(だん いえかげ)名義での初小説『僕という容れ物』を今年上梓した、DyyPRIDE。マイノリティーとしての苦悩、自殺衝動を伴う精神的な混乱――それらを乗り越えてきた彼は、これから社会をよりよくしていくため自分になにができるのか、ずっと考えているという。

彼が口にした、ある人物名が冠された書籍。それを取材後、聞き手は思わず読み返した。そこには、こう書かれていた。「賢治の思考は、いつも幻想の領域において獲得された救済を、必ずこの『世界』の内部で具体的に実現することに向けてくりかえし下降しようとしていた」「じぶんのたおれたところからもっと遠くまでゆくためには何と何とが必要か?」(見田宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』岩波現代文庫 / 2001年)。

Fikaのテーマであるクラフトマンシップや、もの作りへのこだわり、そうした表現の前提として、まず真摯に生きていく、ということを考えてみたい。30歳になった、DyyPRIDEのインタビューをお届けする。

首都圏から遠く離れて。自殺願望に抗いながら過ごす伊東の日々

―今日は横浜でのインタビューですが、普段は伊東にいらっしゃるんですよね?

DyyPRIDE(以下、D):そうですね、ほとんどこっちには来ないですね。去年の6月から伊東に住んでます。

―なぜ伊東だったんですか。

D:こっちは人とか物が多いじゃないですか。伊東に移る前に住んでいたのは横浜市の郊外で、わりと自然が多かったんですけど、そこですら「人や建物が多いな、もう無理だなあ」って。首都圏にいられないな、と限界を感じちゃったんです。

そうしたらあと、田舎に行くしかないじゃないですか。俺は寒いのが苦手で、北のほうに行くとキツいので、じゃあ南のほうに、と思って。伊東は行ったことはなかったんですけど、事前に部屋に目星をつけて、実際に行ってすぐに決めました。

DyyPRIDE(でぃーぷらいど)<br>1989年、横浜生まれ。2011年に1stアルバム『In The Dyyp Shadow』、2013年に2ndアルバム『Ride So Dyyp』を発表した。またSIMI LABのメンバーの一人として2枚のアルバムをリリースしたが2017年に脱退。2019年に檀廬影(だん いえかげ)名義で小説『僕という容れ物』(立東舎)を発表。
DyyPRIDE(でぃーぷらいど)
1989年、横浜生まれ。2011年に1stアルバム『In The Dyyp Shadow』、2013年に2ndアルバム『Ride So Dyyp』を発表した。またSIMI LABのメンバーの一人として2枚のアルバムをリリースしたが2017年に脱退。2019年に檀廬影(だん いえかげ)名義で小説『僕という容れ物』(立東舎)を発表。

―昭和の文豪・坂口安吾にゆかりがある競輪場の裏なんですよね?

D:はい、その競輪場の裏山に、部屋を借りて住んでいます。自然がすごく豊かなんですよ。自分の細胞が喜んでいて、元気になる感じ。首都圏のほうに来ると疲れてしまって、3日もいたらおなか一杯というか……「もういいや」って(笑)。

以前は音楽活動をやっていたから、仕方なく首都圏にいたところがあったんですが、引っ越してみたら、感覚が全然違いますね。

―2017年にユニットSIMI LABを脱退されたあとは、ラッパーとしての活動は休止状態ですね。首都圏から離れて、精神的には安定しましたか。

D:いや、これはずっと変わらず、調子が悪いと精神病の発作のようなものが出てしまって。鬱になって自殺衝動が出ると、「死ななきゃ」ということしか考えられなくなっちゃうんです。なので、死ぬ代わりにお酒や煙草に手を伸ばす。すると、どさくさに紛れてだんだんよくなって(笑)、でもまた1日2日で具合が悪くなって、の繰り返しですね。

22歳くらいのときにアルコール中毒で脳梗塞のようになってしまって、治すのに5年くらいかかったので、普段はお酒もなるべく飲まないようにはしているんですが。

DyyPRIDEが所属していたSIMI LABの“Show Off”

―できるだけ鬱状態にならないように気を使っているんですね。引っ越す前には、インドにも行かれていたんですよね?

D:インド哲学にすごくハマっていた頃で。俺は小さいときから、たとえば「いまいるこの建物の2階の部屋にある窓から飛び降りたらどうなるんだろう」と考えだしたら、実際に飛んでみないと気が済まない子どもだったんですよ。それで足にヒビが入るような……(笑)。ですから、インドが気になりだしたら、行かずにはいられなかったんです。

―なにか学びはありましたか。

D:実は、全然……。街中にいるグル(導師)は、長い髪や髭こそ立派なんですけれど、お金のことしか考えていない、詐欺師のような奴ばっかりで……正直、サイテーだったんですよ(笑)。ホンモノの人たちは、ヒマラヤの山奥に入って修行しているみたいです。小説も、インドで書こうとしていたんですけど、まったく書けなくて。

―マイノリティーである登場人物の差別される苦悩や、精神的な混乱が書かれた『僕という容れ物』は、純文学の新人賞『第54回文藝賞』(2017年)で最終選考まで残ったのち、単行本として刊行されました。20歳くらいの頃から、文章は書きたかったんですよね?

D:この小説に書いた言葉のリズムが、頭の中で揺らめきだしたのがその頃でした。ただ、何回やってもうまく形にならなくて。インドから帰った頃は、映画を撮りたくて、資金のためにフォークリフトのバイトをしていたんですが、そのうちまた鬱が悪化してしまい……そのあと、4カ月くらいで書いたのが『僕という容れ物』なんです。26歳頃ですね。

檀 廬影『僕という容れ物』書影
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―それから伊東へ引っ越した、と。執筆時の記憶はほとんどないそうですね。

D:昼も夜もわからないくらい。たまに部屋のカーテンを開けて、空が青白いと、いまが夕方なのか明け方なのかわからなくて……憑りつかれたように書いていました。「死ななきゃ」という強迫観念より、「書かなきゃ」という衝動が強くて。小説の内容が、ずっと頭の中でループしていました。

―そのエネルギーのほうが勝ったわけですね。

D:はい。そして俺にとってこの小説は、自分の内臓を全部さらすようなものなんです。

DyyPRIDE
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DyyPRIDE(でぃーぷらいど)

1989年、横浜生まれ。2011年に1stアルバム『In The Dyyp Shadow』、2013年に2ndアルバム『Ride So Dyyp』を発表した。またSIMI LABのメンバーの一人として2枚のアルバムをリリースしたが2017年に脱退。2019年に檀廬影(だん いえかげ)名義で小説『僕という容れ物』(立東舎)を発表。

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