「あなたの今日の運勢は……」。テレビでは、今日も当然のように「占い」が流れ、2019年の運勢本は本屋の一角にひしめいている。「占いって、『こじつけ』でしょ?」。そう言いながらも、自分の星座占いを目で追ってしまう。こんなに科学技術が発達した今でも、星占いやタロットカードが人々の心をつかんで離さないのはなぜだろうか?
今回お話を伺ったのは、占星術研究家・翻訳家の鏡リュウジさん。『タロットの秘密』(講談社現代新書)や『12星座の君へシリーズ』(サンクチュアリ出版)など多くの占いにまつわる書籍を執筆しながらも、鏡さんの立場はあくまで「研究家」という冷静なもの。鏡さんに占いのルーツや北欧から生まれたルーン占い、そしてご自身のことを伺ってきました。
冷静に考えたら、星の動きが自分の人生に影響しているわけがないですよね。
—今日はよろしくお願いいたします。早速ですが、鏡さんは「占星術研究家」と名乗られていますよね。いわゆる「占い師」とは、どう違うのでしょうか?
鏡:僕は雑誌や本、ラジオなどメディアには出ているし、もちろん自分で自分を占うことはありますが、誰かの個人鑑定って一度もしたことがないんです。それに、一般的に「占い師」というのは「占いを信じなさい」と言ってくる人も多いと思うのですが、僕はもうちょっと離れた立場で占いを見ているというか。
鏡:というのも、10歳の頃にタロットや占星術に興味を持って勉強をはじめて、16歳の頃には「占いなんて迷信じゃないか?」と思ったこともあったんですよね。でも「迷信」だとしても、実際に当たるようにも思える。英語ではよくIt worksというんです。「でもなんかあるやん」「効くやん」ってニュアンスかな。これってすごく面白いなと思って……。それで占いやその歴史を研究しているうちに今に至るという感じでしょうか。
—鏡さんはとても冷静に占いを見つめているんですね。「迷信」という言葉がさらりと出てくるのが意外でした。
鏡:単純に「迷信」と言って切り捨てられない何かがある。占いを素直に信じる古代的な感覚とそれを否定する近代的な感覚が僕のなかでは入り混じっていて……。それで迷っていた時期もあったんです。
でも恐れ多いけれど、心理学者のユングもそうだった。それを知ったときにに恐れ多いけれどユングに親近感を持ち、葛藤を大事にしようと思ったんです。だから今でも葛藤は抱えていますよ。でもその感覚を捨てちゃうと普通の占い師になっちゃうので。
—面白いです。ちなみに「迷信だ」と思った理由はあったんでしょうか?
鏡:理由というか、冷静に考えたら、星の動きが直接自分の人生に影響しているわけがないじゃないですか。それに、タロットカードを引いたからといって未来の自分が現れるはずもない。
鏡:でも占いにハマっていると、実際に「ここに現れている」と感じる。もちろんそれは、まったく合理的に言えば「意味をこじつけているだけ」という話なのですが……夢と同じようなもので、なぜか自分が考えているものが現れているような気がするんですよね。でも、科学でも統計でも、証明することができない。
—種類にもよりますが、「占いは統計だ」とよく聞きますが……。
鏡:あれは全く嘘ですよ。実際に過去の統計をすべてとったら、たぶん当たっていないでしょうね。
—えっ、そうなんですね。それでもなぜ「当たる」ように感じてしまうのでしょうか?
鏡:これは僕の考え方ですが、占いの持つ「世界観」が強固だからではないでしょうか。
—世界観、ですか?
本能的なところに、占いの世界観が根差しているような気がするんですよね。
—世界観というのはどういうことでしょうか?
鏡:たとえば、東洋医学を考えましょう。漢方薬局にいくと、占いでも用いられる木火土金水という「陰陽」の図があるでしょう? 東洋医学では例えば「五行」と人体の臓器が対応すると考えるんです。「世界の根本には5つの元素がある」と考えているわけです。
ですが、近代的な科学から見るとそれはもちろん、事実ではない。それでも、漢方の世界を理解して、実際に生きてみると効果が感じられる。だからまず「世界観」があって、そこに生きる人にはうまく作用することがある……というか。
—それは信じ込むことで効果が現れる、「プラシーボ効果」みたいなものですか?
鏡:東洋医学の場合には、今の科学の知見からしてもエビデンスを出せる部分もあるので、単純なプラシーボではないでしょう。でも東洋医学のベースにあるような思想は、今の科学とは相容れないですよね。
それでも漢方がこれほどまでに普及しているのは、「人間の心の動きの、ベーシックなところに根差しているからだ」と僕は考えています。そしてそれは占いの基盤と共通している。分類と意味の付与ってことなんですけどね。
—分類と意味の付与?
鏡:はい、人は複雑な世界を、カテゴリに分けて考えないと把握できないんです。「陰陽」とか「男女」とかね。現実は厳密に見るとそんな区別なんかできないわけですが、シンプルな分類体系を想定することで世界が秩序づいて感じられる。
そういうふうにカテゴリ分けをして、一つひとつに意味を与えることで我々は物事を把握しているんです。そしてその「意味づけ」にはどうもかなり普遍的な「イメージ」があるような気もするんです。
たとえば色なんかは、かなり普遍的でしょう? 「赤」は情熱なイメージで、「青」は静かなイメージとか。世界中の人たちが、なぜか同じイメージを持って、同じような意味づけをしてしまう。こういう本能的なところに、占いの世界観も根差しているような気がするんですよね。でもだからといって、科学的に正しいかどうかっていうのは、別の話ですけどね。
—なるほど……。いくら近代科学が発展しても、人間が何かを分類したり意味をつけたりする、心の動きはそう簡単には変わらない、と。
鏡:そうです。我々は頭では誤りだとわかっているけど、「なぜかそう感じてしまう」ことが多いんです。たとえば「日は昇る」って言いますよね。
それから、人生の善し悪しことを表す用語のなかで、70%くらいが天気を表す用語と重なっていると言われているんです。「雲行き怪しいね」とか「光が見えてきた」「晴れ晴れする」「どんよりする」とか。天気に関する言葉が、自分の気分や今の仕事、恋愛などについて言い表す慣用句に使われている。これは言ってみれば、「天界」と「地上界」が同じように作動していると感じている、と言えるんじゃないかな、と。これらは科学とは関係のないところで「なぜか、そう感じてしまう」といういい例だと思います。近代以前の考え方と変わっていない部分ですよね。
—うーん、たしかに。科学的な根拠は何もないのに、天界と地上界をリンクさせて考えているっていうのは、面白いですね。
鏡:これは、近代以前の考え方と変わっていない部分ですよ。
—そうなんですか?
鏡:はい。少し、僕の研究している占星術の話をしますね。もともと占星術は占いではなく、「サイエンス」でした。占星術を意味する「アストロロジー」は、「天体(アストロ)」と「学問(ロジー)」で「星の学問」、つまり天文学とは不可分だったんです。
17世紀にニュートンが出てきて「宇宙とこの世界は、同じ物理法則で動いている」ということを発見するまでは、天界は永遠に不変である「完全なもの」、そして地上は人が老けたり変化したりしてしまう「不完全なもの」と思われていました。不完全なものは、完全なものに従わなくてはならない。だから地上のことを知りたいなら、天界を知らなければ。まずは星のことを知りましょう……。占星術は、そういう星の学問だったんです。
—面白い。もともと人間は「天界」を身近に感じていたんですね。ちなみに占星術が「占い」になったのはいつ頃なんでしょうか?
鏡:いわゆる「星座占い」になって、今のようにみんなが自分の星座を覚えるようになったのは、欧米でも1960年代くらいからではないでしょうか。ちなみに星座占いが日本に広がったのは、1966年ごろからでしょう。『西洋占星術』(1966年、光文社より刊行)っていう本がすごく売れたんです。
—それが今では、ほとんどの人が「自分は何座だ」と知っているのだからすごいですよね。
—ニュートンの登場後、近代化が進んでもなお、未だに天気の言葉を気分にも当てはめてしまったり、事実とは異なるイメージ(や世界観)を持ってしまったり……。こういう人間のベーシックな部分が、占いを信じてしまう理由だ、ということですね。
鏡:そうです。むしろ頭ではわかっていても、です。本当に意識をしていないところで、僕たちはあらゆる「占い的な考え方」を自然に受け入れているんですよ。「運だめし」「ゲン担ぎ」という言葉もそうだし、それから会社やブランドのロゴマークもそうで。
—ロゴマークも「占い」なんですか?
鏡:「占い」とは言えないけど、シンボルを作って結束しようという考え方ですよね。それから「ブランド品を買う」っていうのも、ブランドが持つシンボルを「自分も身につけたい」ということですし。シンボルに意味を込めるというのも、人間が持つ「イメージ」にまつわることと言えますよね。
—なるほど……! シンボリックなものを信じたりそこにイメージを見出したりというのも、人間の生理的なものなんですね。
鏡:占いというのは、人間の思考のベースにあるものと結びついています。いわば本能的な部分に根ざしている。それを洗練していくと体系的な占いになるんだと僕は思っています。
—めちゃくちゃ面白いです。
日本人はよく、無宗教だっていわれますけど、全くそんなことはなくて。
—先ほど、占星術が日本で流行ったのが1966年ごろというお話がありましたが、特に日本で「占い」が流行りやすい理由ってあるんでしょうか?
鏡:うーん、どうでしょうね。他の国でも、占いは流行っていますから。でも、日本人は受け入れるのはすごく早いんですよ。それはやっぱり、日本が昔から多神教の文化だったというところも影響しているかもしれません。
欧米には、既存の一神教の世界観では満足できない人がたくさんいるんです。そういうキリスト教の世界では、異教、異端とされる人たちは、「魔女」と呼ばれたこともあったと言われます。もちろん今の時代でも「魔女」はたくさんいて、僕の友達にもいっぱいいます。
鏡:でも今のところ日本では、西洋的な「魔女」はほとんど存在しないですよね。だって僕たちはお守りを持つし、お月見するし、盆踊りする。じつは盆踊りなんて、魔女のサバト(集会)と同じようなものなんです。海外ではああいうものを見て、いかがわしいと禁止してきた歴史もあるけれど、日本には自然崇拝に根ざした風習が残っている。
—日本は多神教ゆえに、占いの持つ世界観にも寛大ということでしょうか。
鏡:日本人が寛容かどうかは全く別問題ですが、まあ、占いには今のところ寛容でしょう。日本人はよく、無宗教だっていわれますけど、全くそんなことはなくて。
—一時期、みんなが“トイレの神様”を歌っているときに思いました。トイレに神様がいるということを自然に受け入れられているなんて、日本人は特殊な宗教観なんだろうなって。でも、周りの人がだいたい同じような宗教観を持っているから、主張するタイミングも必要もなく、だから「わたしは無宗教」とか思っちゃうのかもしれないですね。
鏡:全世界的に見ると、そのほうが普通なのかもしれませんよ。人間って、もともとあらゆるところにスピリットを感じる動物なんじゃないかな。それにしても占星術の象徴の普遍性というか普及力には驚かされます。たとえば僕たちはみな「曜日」を使っているでしょう? あれは占星術が起源なんです。古代のバビロニアから17世紀まで、占星術では日付と時間に7つの惑星を配当してきて、そこに意味があると思っていた。
僕は自由な仕事だから、ときどき曜日の感覚とかなくなっちゃうんですけど、銀行で働く人とか曜日の感覚がすごくしっかりしていてそれに従っていますよね。彼らのほうがよっぽど占星術の世界を生きてるなぁって思いますね。
—紐解いていくと、本当に自然と馴染んでいるものが多いんですね。
北欧にルーツを持つ「ルーン占い」を体験
—今回は北欧メディアFikaの取材でお話を伺っていますが、北欧がルーツの「ルーン占い」というものがあるんですよね?
鏡:はい。ルーン占いは、ルーン文字を使用して行う占いですね。ルーン文字は、簡略化されたアルファベットみたいなもので、もともとは普通に文字として使われていたので、これ自体は別に神秘的なものではありません。
鏡:でも、古くから護符や占いに用いられていたという記録もあります。長い歴史の中で伝統としては途絶えましたけど、(J・R・R・)トールキンの『指輪物語』などのファンタジー作品で取り上げられたこともあって、新たに人気が出ました。
ルーンのほかにヘブライ文字なんかもそうなんですが、表音文字であると同時に、表意文字でもあるというのが特徴です。「フェオ」という文字はアルファベットのFにあたる表音文字でありながら、「家畜」を表している表意文字である、とか。ちなみにあとから加えられたもので、「ブランクルーン」というルーン文字もあります。何の音も形も持たないもので、トランプで言えばジョーカーみたいなものでしょうか。
—この文字を使って、占いをはじめたのはいつくらいのことなんですか。
鏡:20世紀初頭くらいだと思いますね。でも歴史はもっともっと深いはずです。古代ローマ時代に書かれたタキトゥスの『ゲルマニア』には、ローマ人がゲルマン人を支配したときに「ゲルマン人たちが木の枝に何かを刻んで書いていた」という記録が残っているんです。
でも支配者側の記録しか残っていないから、どういうふうに使われていたかということはわかっていなくて。おそらく19世紀末から20世紀にかけて、ロマン主義的な民族復興みたいなのが起こったときに、今の占いのベースができたと考えられています。
—なるほど。どういうふうに占うものなんでしょう?
鏡:混ぜてひとつ引いてもらうだけなのですが……ちょっとだけ一緒にやってみましょうか。聞きたいことを考えながら引いてみてください。
—じゃあ「2019年のわたしの気持ち」を占ってみたいです。(袋からひとつとって)これにします。
鏡:あぁ。これは、「ハガル」という文字ですね。いろんな意味がありますが、ひとつは「氷」とか「雹(ひょう)」っていう意味なんです。だから、これ自体はあんまりよくないんですよね。
「この世界のものは、すべてがメッセージだ」っていう考え方がいいんじゃないかなぁと。(鏡)
—えっ、あまりよくない文字なんですか……?
鏡:でも逆に「結晶のシンボル」とも言えます。つまり、「プレッシャーは大きいけど、なにか今までにしていることを形にしていく、成果にしていく、形にしていくとき」である。だからつらいこともあるかもしれないけれど、一つひとつ形にしていきましょうと。そういう感じですね。
—なるほど! ありがとうございます。ちなみに他の占いとの違いは、どういうところでしょうか? とてもシンプルな占いだなぁとは思ったのですが。
鏡:もちろん、占い方を複雑に構築しようとする人たちもいます。ただ、シンボリズムが非常にシンプルでわかりやすいことと、北欧の神話に結びついている……ということが特徴でしょうか。
—この占いにも「世界観」があるんですよね?
鏡:そうですね。『The Way of Wyrd』(1983年、ブライアン・ベイツ著)という本が相当影響力を持っていて……フィクションなんですけど、歴史学者・人類学者が書いた本で、昔の世界観をよく調べて、彼らが思っていたであろう精神世界を再現した本なんですよ。ちなみに推薦を書いているのが、ニコラス・ケイジなんです。
—面白そう……。ちなみに「ルーン占いは当たる!」とか「タロットのほうが当たる!」とかあるんでしょうか?
鏡:うーん、僕は「これだけがすごい」っていうものはないと思っています。実際、コインを投げても同じだと思うんですね。
システムがすごいというよりも、松任谷由実さんの歌じゃないですけど「この世界のものは、すべてがメッセージだ」っていう考え方がいいんじゃないかなぁと。占いをして、ちょっと考えてみて、そこからメッセージを受け取ることができたらいいよねと思っています。
—すべてのことはメッセージ……。でも人によっては、占いのメッセージを深刻に受け止めすぎることも、きっとありますよね。鏡さんの立場からすると、どのように思いますか?
鏡:昔は、そのほうがよかったんだと思いますよ。というのも、近代以前は、自分の人生を自分で決めるなんて、逆によくないとされていましたから。「傲慢だ」「大それたことだ」と考えられていたと思います。ギリシャまでさかのぼると、「自分のことは自分で」っていうのは、哲学者や自由民だけに許されたことでした。
鏡:それに、神様が言ったこと(占いの結果)に逆らうなんてとんでもないわけですよ。もちろん日本でも、お上のいうことに逆らうなんてできなかったし、親の決めた相手と違う人と結婚するなんてできなかったですよね。僕の親の世代はまだ「自由恋愛」っていう言葉があったくらいですからね。
でも、近代に入ってからは、「自分の人生を合理的に、自分で決定していこう」ということになりました。それは素晴らしいことです。でも、すごく自由になったけれど……自由って大変ですよね。だから凝り固まったときに、もうひとつ違う世界を持っておけるといいんじゃないか? と思うんです。
—なるほど、自由に選べる今の時代だからこそ「占い」が必要だということですね。
占いや魔法って、科学じゃないし学問じゃないし、言ってみれば「役に立たないこと」だから好きなんですよ。
—わたしは占い、大好きです。たとえば占星術であれば、「今、調子が悪いのは、わたしの行いのせいだけじゃなくて、星の動きがそうだからなんだな」って思うだけで、すごく気持ちが楽になれる。それに、「それなら無理せずにやってみよう」と前向きになれたりもします。
鏡:僕もそういう意味で、すごく好きです。全部自分のせいにするとつらくなっちゃう。「体がこうだから」というような感じで「星がこう言っているから」という世界観を持っておくといいと思いますよ。
鏡:僕は、自分の職業のモデルとなる人がいなかったから、昔はすごく悩んでいたんですよね。このままでいいのかな? 自分はどうなるんだろう? って。でも、自分のホロスコープを作ったとき「太陽がほかの星と絡んでいない」ということを知りました。太陽は人生を自分で切り開いていくための基本的なエネルギー。それがいわばひとりぼっちになっている。これは生きるためのモデルがない、というイメージなんです。
それで、英国で占星術の先輩に「どうなんでしょ?」と聞いたら、「目的地なんか決めないで旅そのものを楽しめばどうですか」って言われたんですよね。終着点なんかではなく、旅の途上だってことを楽しめばいい。そういうホロスコープでしょって言われて、すごく救われたんですよね。
—そういうふうに占いで言ってもらえた言葉が、ずっと指針として残ることってありますよね。言葉ひとつで勇気が出たり、この先において背中を押してもらえたり。
鏡:そうですね、そう思います。でも最近、「がっつき系」って僕が呼んでいるような、目先の現世利益だけをあけすけに求める占いが目立つのはちょっと残念かな......。
—どういうところがですか?
鏡:僕の思っている占いや魔法って、科学じゃないし学問じゃないし、言ってみれば「役に立たないこと」だから好きなんですよ。そこに豊かさがあるというか、役に立たないことを楽しめるっていうのが自由ということだと思うし。
でも「がっつき系」は、「これを使って最短で成功してやろう」とか、「これを使ってより生産性を求めよう」ということなのですが、それだったら占いじゃなくてもっと他のことでいいじゃんって思っちゃって。何度もいいますが、占いって近代とは違う思考法なんですよ。音楽を例にとると、この音楽を聴いたら能率があがりますっていう話ばかりだったら嫌じゃないですか。
—たしかに。解釈を楽しんで、ときに糧にしたり、しなかったり。そういうふうに楽しめることこそが占いのよさでもあるのかもしれないですね。
鏡:そうですね。僕はそんなふうにして占いには向き合っていってほしいと思っています。
- プロフィール
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- 鏡リュウジ (かがみ りゅうじ)
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1968年、京都生まれ。占星術研究家・翻訳家。国際基督教大学卒業、同大学院修士課程修了。占星術の第一人者として、雑誌やテレビ、ラジオなど幅広いメデイアで活躍する。著書に『占星術の文化誌』『占星術の教科書』(原書房)、『タロットの秘密』(講談社現代新書)、訳書に『ユングと占星術』(青土社)など多数。英国占星術協会会員、日本トランスパーソナル学会理事、京都文教大学、平安女学院大学客員教授。
- さえりさん
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ライター。出版社、Web編集者を経て独立。Twitterのフォロワー数は合計18万人を突破。人の心の動きを描き出すこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。『口説き文句は決めている』(クラーケン)、『やわらかい明日をつくるノート』(大和書房)、共著に『今年の春はとびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所) Twitter:@N908Sa