プロスケーター森田貴宏の遊びの美学 のめり込むのもほどほどに

オリンピックの正式種目に採用されたことや、コロナ禍でも密にならず手軽に楽しめることなどから、近年一層の盛り上がりを見せている「スケートボード」。そんなスケートボードの魅力をさまざまな形で発信し続けているのが、プロスケーターの森田貴宏だ。

スケーターとしてはもちろん、映像作家としても世界的に評価されている森田。また、アパレルブランドを展開したり、自らクルーザーデッキ(移動手段の機能に優れたスケボー板)を制作したりと、そのバイタリティは止まるところを知らない。最近では、CAMPFIREでの漫画制作プロジェクトや、スケートボードカルチャーを深掘りするYouTubeチャンネルにも意欲的だ。

森田のクリエイティブにかける飽くなき情熱は、一体どこから湧き上がってくるのだろうか。彼のスケートボードのルーツから、自身の考えるクラフトマンシップ、スケートボード初心者へのアドバイスまで。森田流のスケートボードの楽しみ方に迫るべく、ホームベースである中野に構えたDIYクルーザーの専門店「FESN laboratory」にて話を伺った。

「どうカッコいい存在でいられるか」が大事。ヤンキーが全盛の時代にスケーターを選んだ理由

―今まさにこのショップの周辺をスケボーでクルージングしてもらいました。森田さんの出身は杉並区松ノ木で、中野も地元と言っていいエリアですよね。森田さんがスケートボードを始めた頃、この辺りにスケーターはいたんですか?

森田:僕は1989年にスケボーを始めたんですが、『ビー・バップ・ハイスクール』(那須博之監督 / 1985年)とかの影響が強い時代だったから、当時のヤンチャな子はみんなヤンキーでした。そのヤンキーたちがスケボーをやっていたんですよ。学校には長ランにボンタンで雪駄を履いて来るようなパンチパーマの先輩が、街中ではアメカジでスケボーを乗り回してた。本当の意味でアメリカの「ヤンキー」的な、その不良軍団の感じがカッコよくて僕も憧れましたね。

森田貴宏(もりた たかひろ)
東京都杉並区松ノ木出身のスケーター。極東最前線から斬新な映像作品を発表するビデオプロダクション、FESNの代表。2008年に発表した「overground broadcasting」は、国内だけでなく世界各国で賞賛を得た代表作。アパレルブランド、LIBE BRAND UNIVS.の代表も務める。現在は、ホームベースでもある中野でスケートボードをオリジナル制作する「FESN laboratory」を運営。

―ヤンキーとスケーターって今では遠いイメージですけど、かつては未分化だったんですね。

森田:そうそう。それで自分もヤンキーをやってみたんですけど、退屈だったんですよ。タバコ吸うくらいしかやることがなくて(笑)。片足突っ込んで、やりたくもないケンカをしたこともあるんですけど、とっととやめたくなって。そのタイミングでスケボーを始めましたね。中学1年生だったかな。スケボーが魅力的だったのは、音楽、ファッション、運動と、自分の好きなもの全部の要素が揃っていると思えたから。一番しっくりきたんです。

―スケートボードカルチャー全体に心をつかまれた、と。

森田:あと、友達が見せてくれたアメリカのスケボービデオの影響も大きかったですね。日本ではなかなか見られないような本格的なビデオで、それもスケボーを始めたきっかけの一つ。かといってアメリカの広告にあるような、馬鹿でかい階段を飛んだり長い手すりを滑ったりしたいわけではなかった。スタントマンになりたいんじゃなくて、僕の場合はもっと「街中でどうイキがるか」とか「どうカッコいい存在でいられるか」の方が大事でしたね。お洒落で、強くて、技術もあって……自分の考えるスケボーのカッコよさって、そういう感じなんですよ。

―スケボーする場所は主に地元だったんですか?

森田:はじめは松ノ木で、そのあと新宿ですね。中2の終わりくらいから新宿中央公園に行くようになりました。そこでスケーターとして開花したんじゃないかな。土日にはスケーターがいつも4、50人はいて、日本でもトップクラスにレベルの高い公園でしたから。そこで滑ってた奴はほとんどがプロになりましたよ。地元でくすぶらずに、早い段階でトップレベルの連中と一緒に滑れたというのは大きかったですね。当時は地下鉄で新宿まで120円だったので、ポケットに300円だけ入れて行く。何も買えないし、金はなかったですけど、ただスケボーができればよかった。そんな子ども時代でした。

面ではなく、針のように深く刺す。一匹狼だからこその映像作家としての強み

―森田さんはスケーターであると同時に映像監督でもありますよね。映像を撮り始めるきっかけは何かあったんですか?

森田:実は、父親の影響なんですよ。父がオーディオビジュアル系の機械の品質をチェックする会社にいたから、家にシャープとかソニー、パナソニックのビデオカメラのサンプルがいっぱいあったんです。その中で返さなくていいようなものを、親父に借りて使わせてもらってました。だから中2くらいからビデオカメラを持ってた。結局それは壊しちゃって、親父に「もうお前には貸さん」って怒られるんですけど(笑)。

―その家庭環境は大きいですね!

森田:親の影響はデカいですね。子どもの頃に月一度、家族全員で歌舞伎町に映画を観に行く「映画の日」があったんです。いつも観終わったら飯食いに行って、「どこがよかったか」「何に一番感動したか」ってディスカッションするんですよ。兄貴が2人いて、理屈っぽい人たちだったから、僕も負けじと言葉にして伝える。今考えたら、すごい高度な感性を叩き込んでくれましたね。それで映画が好きになって、映像を見てゾクゾクする感覚の虜になったんです。

―そのあとご自身が作り手側に回るわけですよね。映像を撮ろうと思ったときの原動力は何だったんでしょう?

森田:やっぱり同年代の奴らが僕より先に作ってたスケボービデオですね。純粋に悔しかった。だいたい、映像を一緒に作る仲間がいるのが羨ましい(笑)。僕はどっちかというと一匹狼タイプだったから、自分勝手だし協調性もない。でも、僕にとって一番大事なのは「自由」なんですよ。スケボーってそれが許される遊びだから、どこへ行くにも常に一人で乗り込んでいきましたね。

FESN /overground broadcasting / FESN Headquarters part(ビリヤードパート)

―映像を撮るときも、基本的には一人?

森田:そうですね。当時よく言ってたのは、「針はよく刺さる」ということ。面でいくとぶつかっちゃうけど、一点で突けば深く刺さるじゃないですか。だから大勢でよりも、一人で乗り込むことに価値を感じるんです。地方も海外も、一人で行くから突っ込めるし、切り込める。そのスタイルでずっとやってきましたね。

そうやっていろんな場所でカメラを回してたら、途中で「俺はローカリズムが撮りたいんだ」って気づいたんです。もちろんスケボーも撮りたいけど、それ以上にその地域ごとの色を撮りたい。自分がすべきことはそれだと確信しましたね。だからこそ広い世界を見に、海外にも飛び出ていったんです。

―グローバルに活動しつつ、その土地土地のローカリズムに注目したんですね。

森田:あと、何より「ホンモノ」が見たかったですね。どうせならすごい奴らと遊びたいじゃないですか。「ホンモノの奴らと俺は何が違うんだろう?」って思いながらアメリカに渡りました。「東京で天下取ってもニューヨークで天下取れないならイケてないよな」「俺は大丈夫、絶対イケてる」って言い聞かせて(笑)。自分が一番なりたくないのは、「井の中の蛙」だったんです。「大海を知る」じゃないですけど、そんな価値観で海外に行ってました。

否定されようが馬鹿にされようが、ひたすらやる。一貫したコンセプトに裏付けられたDIY精神

―大海を知ってから地元に戻り、こうしてお店を運営してるのがすごくカッコいいなと思うんですが、このラボではクルーザーデッキを自ら制作されていますよね。映像、クルーザーデッキ、そしてアパレルまで、なんでも自分で作ってしまう。そんな森田さんのものづくりへのこだわりはどんなところにあるのでしょう?

森田:ファッションで言えば、たとえば僕は子どもの頃、あるニューヨークのストリートブランドが好きで着ていたんです。当時はそれでよかったんですが、大人になるにつれて感覚が変わっていった。「なぜ東京でニューヨークの服を着なきゃいけないんだろう?」って。それで先輩の作った服とか着ていたんですけど、すでに自分の中でビジョンがあったから、「自分が着たい服を着よう」と思って「LIBE BRAND UNIVS.」を立ち上げたんです。

―自分が欲しいものを自分で作る、DIY精神が根本にあるんですね。

森田:結局、ブランド意識って「〇〇の代表者」みたいにレプリゼントする感覚だと思うんですよ。だから僕はその後ニューヨークに行ったときも、向こうで売ってるヤンキースのキャップとか全然買う気が起こらなくて、逆に読売ジャイアンツのキャップを被ってましたから(笑)。シューズもナイキじゃなくてアシックスを履いて、自分で作った坂本龍馬のTシャツを着てたら「そのTシャツ超ヤバイね!」「そのサムライ誰?」ってみんなから言われましたよ。だから、海外でのそういう体験が自分のベーシックを広げてくれましたね。「この考え方でいいんだ」と思えたんです。

―ボードや映像の制作に関してはどのようなスタンスなのでしょうか?

森田:2014年からボード作りを始めてるから、もう7年目。はじめからいきなりすごい人なんていないし、僕の場合は不器用だから「とりあえずたくさん作ってみよう」からはじまります。まずは「1年で300枚作ろう」と決めました。1日1枚くらいのペースで作っていけば自然と上手くなるだろう、と。そのスタンスは今も変わらないですね。

―そこはまさに職人的なクラフトマンシップで制作されてるんですね。

森田:ビデオも一緒です。とにかくたくさん撮る。否定されようが馬鹿にされようが、ひたすらやる。そうすれば誰でも上達しますよ。みんなやらないから不安なんでしょうけど、僕は別に不安とかないですもん。はじめは見よう見まねで作り始めても、だんだん自意識が芽生えていって、自然と自分のオリジナリティが出てきますから。ただ、「東京ならではのモノを作りたい」「日本のスタイルを形にしたい」というコンセプトは最初から一貫していました。今こうして作っている自分の店も、「これが東京のスタイルだ」と思ってやっていますね。

技術至上主義から一歩離れた、「ほどほどに」を大切にする、遊びの哲学

―スケボーをはじめてみたいけど、「どうやればいいかわからない」「運動神経ないしな」などと躊躇している人も多いと思います。僕もそのタイプなんですが……(笑)。

森田:それは絶対やってみた方がいいですよ! 逆に、上手くなきゃいけない理由ってあるんですかね? それが僕にはわからない。スキル至上主義の風潮は苦手ですね。

―「オーリー(板と一緒にジャンプする技)なんていらない」と言う森田さんのスケボー哲学に通じる話ですね。

森田:そうそう。スケボーが上手い人たちだけで集まって、下手な人をせせら笑ってるなんて、ダサいじゃないですか。僕の好きなスケボーってそういうことじゃないんです。「上手い下手」はどうでもよくて、それより「面白いかどうか」ですよ。僕が好きなタイプは、誰かがトライしようと真剣になりすぎているときに変なギャグを言って、緊張をほぐすつもりで笑わそうとしてくるような奴(笑)。そんな感じでいいんですよ。

あと大事なのはノリですよね。下手でも「俺行きます!」って坂を下っちゃうような奴を見ると、いいなあと思います。僕もアホなので感情に従って後先考えずにチャレンジするタイプ。だから骨折しまくったんですけど(笑)。でも、そういうときのテンションがガーンって上がってハイになる感覚は、言葉じゃ説明できないですもん。勝気にトライして成功したときは最高の気分だし、たとえ失敗したとしても周りのみんなは絶対盛り上がるし。要するに「遊び」であり「お祭り」なんですよ。

森田がオーリーはいらないと語るインタビュー

―そもそもスケボーは遊びであり、日常の中のちょっとしたお祭りでいい。

森田:僕はスケートパークに行くときも、犬が散歩に連れてってほしくて「ハッハッハ!」って舌を出してるようなテンションですよ。それをそのまま表現すればいい。パークで深刻に練習しててもしょうがない、遊びなんだから楽しまないと。たとえば、僕は70歳のじいさんになってもスケボーをやってると思うんですが、体が全然動かなくても車椅子をめちゃくちゃに改造してパークに登場したい(笑)。そこに上手い下手なんてないじゃないですか。技術だけで勝負してる人は、それこそ井の中の蛙だと思いますね。その周りには何億倍も豊かな表現の海が広がっているはずです。

―スケボーを始めたくなってきました……! オリンピックの正式種目になったり、コロナ禍に密にならず楽しめたりすることで、にわかにスケボー人気が高まっていることについてはどう思われますか?

森田:人気が出てきたらプレイヤー人口が増えるという証拠なので、いろんな価値観の違いが顕著になりますよね。そうすると、スケボーってこういうものだよという意見がたくさん出てくると思うんですけど、僕が一番言いたいのは「のめり込むのもほどほどに」ってことですね。遊びだから適当にね、と。僕が言っても説得力がないかもしれないですけど(笑)。たとえば遊びすぎて、そのせいで家庭が崩壊したら、それはイケてないですよね。ほどほどにして家に帰った方がいい。

僕は何かに熱中すると、こもって作業してて気づいたら2日も経ってた、なんていうことがあります。でもそれを続けていたら家庭にヒビが入るじゃないですか。今僕にとって一番大切にしなきゃいけないのは、やっぱり家族。だから本当はやりたいことでも、自分で自分を止めてますもん、「ほどほどにね」って。

目指すのは何代も続く伝統の店。歴史を積み重ねることへの憧れ

―ちょうどいい塩梅で楽しむことが大事だ、と。では、これから森田さんが挑戦していきたいことはありますか?

森田:ウチの「FESN」(Far East Skate Network)という屋号をできる限り続けていきたいですね。今は自分の考えるスケボーについて、ウチのスタッフたちにゆっくり教えてるところです。軸は僕が持ってるんですが、スタッフたちの個性を生かしたハンドリングを心掛けてます。必ずしも僕が絶対というわけじゃなくて、スタッフたちの意見もすごく重要になってくる。そうすると、彼らは自分たちの意思が反映された仕事になるから、やっていて楽しいはずですよね。

僕がワンマンでやっていた時期もあるんですが、今は2、3歩後ろに下がってます。それで今いるスタッフたちが力をつけてくれたらいいし、また彼らが若い子たちを育てていけばいい。そういう循環を作ることが、自分が生涯を通してやりたいことかもしれないですね。やっぱり歴史があるものってすごいじゃないですか。何百年も続いてるお茶屋さんとか、そういう世界に憧れます。僕が死んじゃった先の話ですけど、それを自分はスケボーでやりたいんです。

―森田貴宏独自のスケボー観を次世代へとバトンする、そんな実践の真っ最中なんですね。

森田:僕がスケボーで一番好きなのは、「とりあえずやってみる」「トライしてみる」という精神性。そこがスケボーの爽やかさなんですよね。やらないと答えは出ないから、まずやってみようという世界。だから僕自身、これからもどんなことにでもトライして、答えを探していこうと思ってますね。

店舗情報
FESN laboratory

住所:〒164-0001 東京都中野区中野3丁目33−15
営業時間:14:00~20:00
定休日:木曜日
電話:03-6382-5406

プロフィール
森田貴宏 (もりた たかひろ)

東京都杉並区松ノ木出身のスケーター。極東最前線から斬新な映像作品を発表するビデオプロダクション、FESNの代表。2008年に発表した《overground broadcasting》は、国内だけでなく世界各国で賞賛を得た代表作。アパレルブランド、LIBE BRAND UNIVS.の代表も務める。現在は、ホームベースでもある中野でスケートボードをオリジナル制作するFESNラボラトリーを運営。



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カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしてい「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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