Photo:Wesleyan Cinema Archives
イングリッド・バーグマンは、平成以降ではなく昭和の日本人における理想
筆者の年齢(55)の、特に日本人で、イングリッド・バーグマンを、「歴史上の名女優の1人として、名前と顔は知っている」という以上の認識、つまり、彼女こそ理想の女優だとか、或いはそこまで言わないまでも、俺の心の1作に出ていたとか、要するにガチで惚れている者は、とても良い意味で、だが、皆無だと思う(仮にいたとしても、ヒッチコックの『汚名』(1946年)が凄いとか、そのぐらいではないか)。平成以降の日本人が女優の美点とするものをほぼひとつも持たず、昭和の日本人における美点だけで形成されているような女優だ。
優雅であること、男顔の美貌で高い身長を持て余し気味だが、母国スウェーデン時代から、セルズニック(アメリカの映画プロデューサー)に見染められてハリウッドに進出し、娯楽作(ヒッチコックの3作:『白い恐怖』(1945年)、『汚名』(1946年)、『山羊座のもとに』(1949年)含む)を10年間連発、からの、EU各国でのアート作品まで縦横に活躍したこと。
かなりの強気で知られ、不倫スキャンダルも含めて3回の結婚をし、子供も多く持ち、『カサブランカ』(1942年)や『追想』(1956年)といった、時代の顔であるようなメロドラマの主演であると共に、シネフィル垂涎の、ネオレアリズモ異形の作品『ストロンボリ』(1950年公開。本作の監督、ロベルト・ロッセリーニとの不倫が、前述のスキャンダル。ロッセリーニとは後に、結 / 離婚。結婚にこそ至らなかったが、かのロバート・キャパとの恋愛=結婚期間中もあり)や、同郷の天才、イングマール・ベルイマンの『秋のソナタ』(1978年)では、「女優の老い」という問題に真っ向から挑み、ノーメイクの老婆(と言っても63歳)の長回しアップという、起立と脱帽に値するものの、いったい誰が何のために嬉しいのかわからない偉業を、死の直前に達成した。
幼き日に両親、祖父母、友人などを連続して亡くした、というバイオグラフ頼りにしなくとも、生涯にわたって、内的葛藤と正体のわからない問題意識にとりつかれた、シリアスなパーソナリティーでもあった。
バーグマンが、ヘップバーンやマリリン・モンローのようにもてはやされないのはなぜか?
未だにファッション誌で特集が組まれるオードリー・ヘップバーンやマリリン・モンロー、カトリーヌ・ドヌーヴ等の人生やシネモグラフィー、自伝や評伝等々と、彼女のそれが劇的に違うとは思えない。単にバーグマンは、現在の価値基準からすると大人すぎるのである。フェミニンでもキュートでもコミカルでもない。つまり、可愛くない。だから萌えられない。なんという世界であろうか。21世紀の北欧文化がこの退行的な価値観を逆転的に沈静化させ、イングリッド・バーグマンが全く新しい価値観で再評価されることを望む。が、今の所、灯りは全く見えない。
しかし、そんな「歴史上の名女優の1人として、名前と顔は知っている」だけの、悪い意味でのクラシックス、イングリッド・バーグマンを、ほんの少しだけ、生々しい親密感と、ちょっとした(かなり健康的な)エロティシズムにまで拡張する、優れた生涯ドキュメンタリー映画が、2013年に公開されている『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』(スティーグ・ビョークマン)。
傑作から駄作までの幅が広すぎる、20世紀人の生涯ドキュメンタリー作品の中でも、本作が傑作といって良い完成度、中でも前述の「彼女を身近に感じさせる」という奇跡的な成功をおさめたのは、「家族という共同体に屈折した愛着を持っていたバーグマンは、ホームムービーをかなり盛んに撮影していた。そしてそれは、彼女のスウェーデン時代からの憧れであったプール付きの家での、プールサイド風景がほとんど」という一点に尽きると言える。
とにかく、あのイングリッド・バーグマンの様々な水着姿や泳ぐ姿が、こんなにも映っている映画は1本もない。ノーメイクで、リラックスして、家族(多くが娘)と一緒にプールでキャッキャいっているバーグマンは、おっさんがブランデー片手に熱愛を告白する歴史上の名女優などではなく、長身で陽気なファッションモデルのようである。
「これ、引退したスーパーモデルのInstagram」と言われてもおかしくない映像が、映画史を活写するニュース画像や、作品の抜粋と交互に出てくるのである。「撮影現場ではリラックスして、楽しくあること」を、あのヒッチコックに伝授されるまで、演技に対して、シリアス過ぎた彼女が、今では誰もが大好物であるスーパー8のザラついた画質の中で、水着姿で心の底から楽しそうにニコニコ笑っているのである。
イングリッド・バーグマンとエスター・ウィリアムズは、ガタイの良さや活躍期間もかぶっている
筆者は、本作を見ながら、エスター・ウィリアムズとのダブルイメージを回避することができなかった。競泳選手だったエスター・ウィリアムズのガタイが良いのは、競泳選手だったわけだし、水中レビュー映画の花形だったわけだし、トートロジカルなまでに当然である。しかし「イングリッド・バーグマン実はガタイやべえ」と、20世紀はとうとう発言、どころか、発見さえさせてはくれなかったのである。
男顔、長身(バーグマン175センチ、ウィリアムズ173センチ)、ガタイと運動能力、特に水泳におけるそれの高さ、最盛期とされる活動期間の重複(バーグマンの「ハリウッド期」は、ウィリアムズの「MGM(アメリカの映画スタジオ)水中レビュー映画の黄金期」である1944年から1956年にほぼピッタリ重なっている。ただ、MGMが水中レビュー映画の製作を終えた1956年でウィリアムズは引退状態になるが、不倫スキャンダルからロッセリーニとの苦い蜜月を終えて、ハリウッド回帰し、オスカーを受賞する『追想』が同じく1956年であるが、これはバーグマンのハリウッド「最後の一発」であり、つまりタッチの差だ)、何せ、笑顔や髪型、体型の類似などから、この2人がダブルイメージされる等というアクロバットは、『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』というパズルのピースがなかったら、永遠に完成しなかった絵であると断言できる。
元々がアスリートであったウィリアムズも、生涯4度の結婚をしている。女優である限り、水中レビューのお姫様も、かのイングリッド・バーグマンも、マリリンもオードリーもドヌーヴも、「愛に生きた」ことにかわりはない。6歳下とはいえ、ウィリアムズはついこの間まで生きて91歳で没した(2013年6月6日)。バーグマンは生涯最後の結婚生活が破局する前後から乳ガンとの闘病を強いられ、1982年に67歳で没する。
ガンという病魔の登場が、バーグマンを演技に集中させたのか
筆者のベストは、圧倒的に『オリエント急行殺人事件』(1974年)での、敬虔なカソリック宣教師で(おそらく処女設定)、化粧っけのないグレタ・オルソン役である。バーグマンは、オールスター映画である本作で、伯爵夫人役のキャスティングを蹴って、自ら「誰? この地味で暗いおばさん? えええええええええ! これイングリッド・バーグマンなのお!?」という仕事に徹した。
乳ガンが発覚した直後の作品であり、筆者は、内なる怪物との葛藤という余剰なく、安心してバーグマンが演技に没頭できた唯一の作品であると信ずるものである。ガンという病魔の登場にして、やっと彼女の内部の葛藤(それは、かのイングマール・ベルイマンとの現場でさえ収まらなかった)を鎮めることになった、という筆者の見立てが、不謹慎もしくは不適切と思われる読者は、彼女の全作品、並びに『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』というミッシングリンクまでをご覧いただいてからご意見を頂戴したい。
- 作品情報
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- 『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』(DVD)
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2017年7月5日発売
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- 連載『菊地成孔の北欧映画コラム』
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ジャズミュージシャン、文筆家の菊地成孔が、北欧にまつわる映画人にスポットを当てたコラムを連載形式でお届けします。ジャンルを横断した造詣の深い書き手が、多様な視点から見る、その土地や文化、時代を書き綴ります。
- プロフィール
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- 菊地成孔 (きくち なるよし)
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1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。