享年28。彼は生き急ぐように、その人生と才能を燃焼させた
20代半ばにして、普通の生活を送り続けるならば一生で使いきれないほどの大金を稼ぎ、第一線から退いて半隠居生活を送るようになる。もしそれがベンチャー企業の経営者や画期的なソフトウェアの開発者の話なら、いい人生と言えるかもしれない。実際にそんな人がどれだけいるかは別として、それは多くの人が一度はぼんやりと憧れる理想的なライフストーリーだろう(優れた経営者や優れた開発者であればあるほど、自分が第一線にいることに執着があるはずだが)。
しかし、もしそれが経営者や開発者ではなくて、アーティストの話だとしたら? 2018年4月20日、「オマーンの王族が所有する敷地内で亡くなった」というニュースが駆け巡り、世界中のファンの間に衝撃と深い悲しみが広がった。アヴィーチーの28年間の短い人生に起こったのは、そのようなことだった。
ラッセ・ハルストレム監督『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年)の主人公の少年の母親役で知られる女優、アンキ・リデンを母に持つアヴィーチーことティム・バークリングは、1989年にスウェーデンのストックホルムで生まれた。日本の年号にあてはめるなら「平成生まれ」であることからも、彼がどれだけ若くして世界的成功を手中にし、まるで生き急ぐかのように、その人生と才能を燃焼させて、あっという間にこの世から去ってしまったかがわかるだろう。
ノルウェーのDJ・プロデューサーKYGOが、アヴィーチーの訃報の翌日に「自分にとっての最大のインスピレーション源で、音楽を作りはじめるきっかけとなった存在」というコメントとともにInstagramに投稿した写真(Instagramを見る)
母国スウェーデンに愛され、自国の仲間にチャンスを与え続けたアヴィーチー
EDMシーンが生んだ最初にして最大の「ポップスター」であり、2つのスタジオアルバム『True』(2013年)、『Stories』(2015年)、そして遺作となってしまったEP『Avīci (01)』(2017年)では自身をスターダムへと押し上げたEDMシーンの重力圏から、どれだけ音楽的に自由に羽ばたくことができるかを模索してきたアヴィーチー。彼の音楽家としての歩みを振り返るうえで、彼がスウェーデン出身であることはいくつかの点で重要な意味を持つ。
DJとしてはSwedish House Mafiaなどの先駆者はいたものの、ポップミュージックやダンスミュージックの震源地からは遠く離れたスウェーデン。その首都ストックホルムに住む若者の作った革新的なダンストラックを、世界に向けて積極的にプロモートしていたのは、同じスウェーデンの企業にして世界最大の音楽ストリーミングサービス、Spotifyだった。
2018年5月時点で、Spotify上において約6.3億再生されている楽曲“Wake Me Up”(2013年)を聴く(Spotifyを開く)
人気絶頂期の2015年にはスウェーデンの自動車メーカー、VOLVOのグローバルキャンペーン「A New Beginning」に協力。新曲“Feeling Good”を提供し、同社の新型車XC90のCMにも出演。通常の人気ミュージシャンと大企業のタイアップの枠を超えて、ともに母国スウェーデンの新しいイメージを世界に発信していった。
アヴィーチーは自国のミュージシャンのフックアップにも積極的で、2016年の最初で最後の来日公演のオープニングアクトには同年代の地元の仲間でもあるOtto Knowsを起用。その直前にそのOtto Knowsとともにリリースした“Back Where I Belong”は、母国(=Where I Belong)への帰還を宣言した曲だった。そしてその宣言通り、彼はその夏にすべてのツアー活動から引退。2年前からストックホルムの自宅に戻って、そこで約10年ぶりに日常の生活を取り戻していたはずだった(今となっては「はずだった」と書かなくてはいけないのが切ないが)。
アヴィーチーの本質は、「EDMの人気DJ」という言葉では表せない
アヴィーチーがEDMのシーンにおいて突出してメロディアスな「歌モノ」の楽曲を数多く残してきたことから、彼をスウェーデンのポピュラーミュージック史に位置づけることも可能だろう。1970年代のABBA、1980年代のRoxette、1990年代のAce of BaseやThe Cardigans。スウェーデンの音楽界は、これまで周期的に世界中から愛されるポップアクトをいくつも生み出してきた。ダンスミュージックが現代のポップミュージックのメインストリームであるとするならば、アヴィーチーのような音楽家がスウェーデンに現れたのはひとつの必然でもあったとも言える。
コカ・コーラの全世界CMソングに起用された楽曲“Taste The Feeling”(2016年)を聴く(Spotifyを開く)
実際、ここ日本でも近年の洋楽をめぐる環境においては異例なほど幅広い層、それも10~20代を中心とする若い層からアヴィーチーの音楽が愛されてきたのには、その親しみやすいメロディーと、英語を母国語としないミュージシャンならではのわかりやすい英語で歌われた、人生を祝福する力強いメッセージの力が大きかったのではないか。もちろんそのメロディーと歌詞を引き立たせていたのは、極端に音数を削ってもグルーヴを失わない研ぎ澄まされた音楽家としてのセンスとスキルだったわけだが、彼を紹介する際にその訃報にまでつきまとってきた、「EDMの人気DJ」という枕詞からはみ出す場所にこそ、アヴィーチーの音楽の本質はあったと思う。
本当のところは誰にもわからない。だが、伝説の終わりはあまりに早すぎた
アヴィーチーの突然の死を伝える第一報からしばらくして、彼の遺族からのメッセージが公表され、そこではその死が自殺であったことが遠回しに表現されていた。各メディアの続報のなかには、彼が死の直前まで新作の準備を精力的に進めていたことを伝えるものもあれば、自殺した際の状況の詳細について伝えるものもあった。それらの情報は、いずれもそれなりに信憑性のあるものではあったが、本当のところは誰にもわからない。
アヴィーチーがこの世を去る約1ヶ月前、Instagramに投稿された写真(Instagramを見る)
アヴィーチーのファンは、彼が活動初期から健康問題を抱えていて、そこに終わりのないハードなワールドツアーが起因となったアルコール過剰摂取の問題も加わり、公演のキャンセルを繰り返すなど、しばしば深刻なコンディションに陥ってきたことを知っていた。だからこそ、2016年に彼がツアー活動からの引退を発表したときも、その決断を惜しむ声はあっても、責めたり咎めたりするような声は皆無だった。それなのにーー。
アヴィーチーのプレイと作品がこれまで残してきた、地域やシーンや一時的なブームなどをすべて超越した、後にも先にも誰も似た者がいない音楽家としての足跡は、もし彼が28歳の若さで亡くならなかったとしても、もう十分に伝説と言えるものだった。今はただ、その伝説の早すぎる終わりを悲しむしかない。
Aviciiが最初で最後の来日公演を行なった際に投稿されたドキュメントムービー
- プロフィール
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- Avicii (あゔぃーちー)
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スウェーデン出身、本名ティム・バークリング。28歳。ダンスミュージックを常に革新し続けるプロデューサー。弱冠18歳にてキャリアをスタート。独学で音楽制作を学び、2012年の『第54回グラミー賞』最優秀ダンス・レコーティングにノミネート。2013年には1stアルバム『True』をリリースし、74か国でiTunesで1位を獲得。全米6位、全英2位、この日本でも異例の20万の売上を突破し世界規模で大ヒット。2015年、2ndアルバム『Stories』を発表。2016年、コカ・コーラ全世界CMソング“Taste The Feeling”のリリースを経て、2016年8月を最後にDJとしての活動を完全に休止することを発表。活動休止直前の6月、最初で最後となる来日公演を行なった。2018年4月20日、オマーンで急逝したことが報じられる。