ヨハン・ヨハンソンという巨大な才能。その素顔を知る2つの逸話

48歳でこの世を去ったヨハン・ヨハンソンという巨大な才能

2018年2月9日、この世界は永遠に一人の大きな才能を失った。Sigur RosやMumといったアイスランドのポストロック / エレクトロニックミュージックのファンにとっては、同国が誇る気鋭のミュージシャン。クラシックミュージック / 現代音楽のファンにとっては、マックス・リヒターと並ぶ「ポストクラシカル」と呼ばれるシーンの代表的な作曲家。そして、近年は映画ファンの間で広くその名前を知られるようになり、賞賛を浴びてきた孤高の映画音楽家。ヨハン・ヨハンソン、享年48歳。彼の死は、あまりにも早い、そしてあまりに唐突な出来事だった。

ジャンルを横断してきた、いや、ジャンルにまったく収まらないその巨大な才能によって活躍の場が自然と広がっていった生前のヨハンソン。その訃報が届いた直後から、世界中のミュージシャンが驚きや、感謝や、追悼の意をソーシャルメディアなどで表明していた。それらの多くが、それぞれの愛していた彼の作品のリンクとともに発信されていたのも印象的だった。

前述したSigur RosやMumやマックス・リヒターをはじめ、坂本龍一、ルドヴィコ・エイナウディ、オーラヴル・アルナルズ、トム・ホーケンバーグ、マイケル・ジアッチーノ、クリント・マンセル、ブライアン・タイラー、スティーヴ・ジャブロンスキー、ベアー・マクリアリーといった多くの著名な映画音楽家を含む作曲家たち。さらには、エレクトロニックミュージックのFlying Lotusやジェフ・バーロウ(Portishead)、ラッパーのEl-P、マーク・アーモンド(Soft Cell)、ニール・テナント(Pet Shop Boys)といった、彼と直接仕事で関わりを持ったことはない人々を含む多くのポピュラー音楽のミュージシャンたち。追悼の意を表したその多彩な顔ぶれが、何よりも彼の多面的な才能を象徴していた。

ヨハンはぼくにとって、ごく新しい友達でした。しかし長時間、お互いの仕事の話しをし、あるいはぼくのスタジオで半日、ともに録音したり、知り合ってからはとても深い時間を過ごすことができたと思います。何も約束はしませんでしたが、ぼくはこれから何度も共に音楽を作ることになるだろうと思っていました。お互いのリミックスの交換は、その始まりだったはずです。 そんな彼が何も言わずに突然去ってしまい、ぼくを含めて残された者はただ呆然としています。
坂本龍一の追悼コメント / 引用:ユニバーサル ミュージックジャパン公式サイトより(サイトを見る

坂本龍一『ASYNC - REMODELS』(2017年)。ヨハン・ヨハンソンによるリミックス楽曲(7曲目)を聴く(Spotifyを開く

坂本龍一からFlying Lotusまでをも魅了する才能の多面性は、ひと口には語れない

ソロミュージシャンとして英国のニューウェーブ / オルタナティブ系レーベル、Touchや4ADから作品をリリースしていた2000年代半ばまで。商業長編映画の音楽を手がけるようになった2000年代後半以降。それと並行してドイツのエレクトロニックミュージック系レーベルSonic Piecesやクラシックミュージックの名門ドイツ・グラモフォンから作品をリリースし、ポストクラシカルの旗手として注目されるようになった2010年代。ヨハンソンの残してきた作品は、その制作環境によって作風が異なる。

4ADから発表した『IBM 1401, A User's Manual』(2006年)を聴く(Spotifyを開く

また、特にソロ作品においては毎回モチーフが極めてユニーク——1950年代にIBM社が生産したコンピューターのマニュアルのサウンドトラックだったり(2006年発表の『IBM 1401, A User's Manual』)、1920年代にヘンリー・フォードが投資したブラジルのゴム農園だったり(2008年発表の『Fordlandia』)、ジャン・コクトーの映画『オルフェ』に登場したカーラジオの秘密の周波数だったり(2016年発表の『Orphee』)——なこともあって、単純にキャリアの時系列だけでは捉えきれないところも多い。ここでは、そんなヨハンソンの音楽家としての素顔を垣間見ることができる、2つのエピソードを紹介したい。

ヨハンソンの「完璧主義者」たる所以を知る、2つのエピソード

映画音楽家としてのヨハンソンの輝かしいキャリアを決定づけたのは、ジェームズ・マーシュ監督『博士と彼女のセオリー』(2014年)での『ゴールデン・グローブ賞』作曲賞受賞(及び『アカデミー賞』作曲賞における初ノミネート)に加えて、現在世界的に最も注目されている監督の一人であるドゥニ・ヴィルヌーヴの諸作品、『プリズナーズ』(2013年)、『ボーダーライン』(2015年)、『メッセージ』(2016年)における、旋律よりも音のテクスチャーに重きをおいた斬新なスコアの数々だった。

『博士と彼女のセオリー』のサウンドトラックを聴く(Spotifyを開く

『プリズナーズ』のサウンドトラックを聴く(Spotifyを開く

『ブレードランナー2049』(2017年)にも途中まで参加していたが、最終段階でオリジナルの『ブレードランナー』(1982年)におけるヴァンゲリスのスコアの解釈をめぐるヴィルヌーヴとの意見の相違によって同作から完全に手を引くこととなったヨハンソン。結果的に世に出たヴィルヌーヴとの仕事としては最後の作品となった『メッセージ』においても、作品の冒頭とクライマックスでメインテーマ的に使用されているのはヨハンソンのスコアではなく、ポストクラシカルシーンにおいてヨハンソンのライバルと目されていたマックス・リヒターの既存曲“On the Nature of Daylight”だった。

そこには、ヴィルヌーヴが編集前の映像に仮でつけていた同曲に対して、「これ以上この作品に相応しい曲はない」とヨハンソンが進言して、そのまま使用することになったという経緯があった。それだけ知ると、ヴィルヌーヴにヨハンソンのプライドが傷つけられたようにも解釈できるが、(あれだけの才能の持ち主なのに)自分の音楽家としてのエゴよりも作品にとって何が最適かを常に優先する、完璧主義者ヨハンソンらしいエピソードと言えるだろう。

『メッセージ』のサウンドトラックを聴く(Spotifyを開く

もっと極端な事例は、ダーレン・アロノフスキー監督『マザー!』(2017年)だ。同作品において音楽及び音響コンサルタントとしてクレジットされているヨハンソンだが、実際の作品ではヨハンソンのスコアは使用されていない。アロノフスキーからのたっての希望で同作の音楽を手がけることになったヨハンソンは、1年以上にわたる監督との密接な共同作業を経て、作品の完成前に自身が書いた90分以上にわたるスコアをすべて取り除きたいと申し出た。ヨハンソンがどれだけの情熱と真剣なアプローチで同作に取り組んでいたかを知るアロノフスキーは、その申し出を受け入れるしかなかったという。

ヨハンソン亡き後、ただ1つ確信を持って言えること

ヨハンソンの最新の仕事には、現在発表されている範囲だけでもイタリア人監督パノス・コスマトスの新作『Mandy』(2018年)、ジェームズ・マーシュ監督の新作『The Mercy』(2018年)、『LION/ライオン ~25年目のただいま~』(2016年)で知られるガース・デイヴィス監督の新作『Mary Magdalene』(2018年)と、3本の映画作品のスコアで触れることができる。また、ヨハンソンが2016年にドイツ・グラモフォンからリリースした現在のところ最後のソロ作品『Orphee』は、彼の最高傑作と言うべきイマジネーションに溢れた作品だった。

『The Mercy』のサウンドトラックを聴く(Spotifyを開く

『Orphee』を聴く(Spotifyを開く

今年5月にバルセロナで開催されるフェス『Primavera Sound』では、同郷のビョークをはじめ、現在世界中のヒットチャートを席巻しているラップグループのMigos、Arctic Monkeys、Lordeらと同じ会場で、多くの若いオーディエンスを前にパフォーマンスを披露する予定もあった。

1つだけ確信を持って言えるのは、もし彼がこの世界にまだ存在し続けていたとしたら、映画音楽においても、そしてソロミュージシャンとしてのキャリアにおいても、さらなる新しい次元の「未来の音楽」を我々に聴かせてくれていたであろうということだ。2018年2月9日、ベルリンのアパートで亡くなっているのが発見されたヨハンソン。それからひと月以上経った今も、死因は公表されていない。

リリース情報
ヨハン・ヨハンソン
『ENGLABÖRN – REMASTERED & VARIATIONS』(2CD)

2018年3月23日(金)発売
価格:3,580円(税込)

[CD1]
1. オディ・エト・アモー(われ憎みつつ愛す)
2. エングラボルン
3. ヨーイとカレン
4. 人生は浮き沈みがある
5. 心理カウンセラー
6. 「君を離さない」
7. 心理カウンセラーの死
8. 浴室
9. 「耳をそばだてずに全てを聴いた」
10. カレンが天使を作る
11. エングラボルン・ヴァリエーション
12. 「私の幼年期は灰色だった」
13. クロコダイル
14. 「もし始めてなかったら……」
15. …常人のように
16. オディ・エト・アモー(ビス)
[CD2]
1. 「耳をそばだてずに全てを聴いた」 Rework by ア・ウィングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サルン
2. オディ・エト・アモー Rework by ヨハン・ヨハンソン/フランチェスコ・ドナデッロ
3. エングラボルン ピアノ・ヴァージョン by ヴィキングル・オラフソン[※ピアノ編曲:ヨハン・ヨハンソン]
4. ヨーイとカレン Rework by 坂本龍一
5. 聖なる木曜日(耳をそばだてずに全てを聴いた) コーラス・ヴァージョン by シアター・オブ・ヴォイセズ[※コーラス編曲:ヨハン・ヨハンソン]
6. エングラボルン Rework by ヴィクトル・オルリ・アルナソン
7. オディ・エト・アモー(ビス) Rework by アレックス・ソマーズ
8. 心理カウンセラーの死 Rework by ヒルドゥル・グズナドッティル
9. オディ・エト・アモー(ビス) Rework by ヨハン・ヨハンソン/フランチェスコ・ドナデッロ
10. …常人のように Rework by ポール・コーリー
11. オディ・エト・アモー コーラス・ヴァージョン by シアター・オブ・ヴォイセズ[※コーラス編曲:ヨハン・ヨハンソン]

プロフィール
ヨハン・ヨハンソン
ヨハン・ヨハンソン

数々の受賞歴に輝く作曲家/ミュージシャン/プロデューサーのヨハン・ヨハンソンは、1969年アイスランド生まれ。電子音とクラシックのオーケストラ・サウンドを融合させたヨハンソンの音楽は、バロック、ミニマル、ドローン・ミュージック、エレクトロ・アコースティック・ミュージックなど、多様なジャンルの影響を受けている。映画音楽の分野では、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ボーダーライン』(2015年)の音楽で米国アカデミー賞作曲賞、BAFTA(英国アカデミー賞)作曲賞、放送映画批評家協会賞作曲賞にノミネート。また、スティーヴン・ホーキング博士の実話に基づくジェームズ・マーシュ監督『博士と彼女のセオリー』(2014年)の音楽は批評家に絶賛され、ゴールデン・グローブ最優秀作曲賞を受賞したほか、BAFTA作曲賞、グラミー賞サウンドトラック作曲賞、放送映画批評家協会賞作曲賞にノミネートされた。管弦楽、室内楽、舞台音楽の分野では、これまでにカナダ・ウィニペグ交響楽団、バング・オン・ア・キャン、シアター・オブ・ヴォイセズ、オスロ・ノルウェー・シアター、アイスランド国立劇場のために作曲をおこなっている。2016年、6年ぶりとなるスタジオ録音アルバム『オルフェ』をリリースし、「ドイツ・グラモフォン」よりデビューを果たした。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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