ニッケルハルパという、スウェーデンの民族楽器をご存知だろうか。弓で演奏する擦弦楽器だが、鍵盤のようなパーツがついており、それを指で押さえて音程を変えるというユニークな構造を持つ楽器である。さらに共鳴弦の効果によって、たった1本でも教会やコンサートホールで演奏しているかのような豊かな響きを奏で、その天から降り注ぐような美しい音色に魅了される人は多い。
それにしても、この独特のフォルムとサウンドを兼ね備えたニッケルハルパは、一体どのような進化を遂げてきたのだろう。今回、ミュージシャンの中でも随一の「楽器好き」として知られ、たくさんの民族音楽を集めて自らの音楽にも積極的に取り入れているトクマルシューゴに、この不思議な楽器を試奏してもらった。
講師を務めてくれたのは、北欧音楽を取り入れたサウンドで人気のバンド、Drakskipのニッケルハルパ奏者である榎本翔太。本場スウェーデンへの留学経験も持つ彼を案内役に、この楽器やスウェーデンの文化の魅力を語り合ってもらった。
新しい楽器を買って、それで遊んでいるうちに曲ができることも多いです。
—トクマルさんは、楽器全般に対して強い興味をお持ちですよね。きっかけは、どのようなものだったのですか?
トクマル:特別なきっかけがあったわけではないんです。もともと、楽器に限らず音が出るモノが好きで、昔から集めていて。そのうち海外の楽器にも興味を持つようになって、珍しいかたち、珍しい音のモノを探しているうちに、ニッケルハルパのような民族楽器の存在を知った。「こんな楽器があるのか」という思いとともに、それらが使われている民族音楽にも興味を持ちました。
—所有している民族楽器は、たとえばどんなものがあるのですか?
トクマル:たくさんあります。シタールとかサーランギーなどのインドの楽器は手に入れやすいですね。なかには、雑なつくりのものもありますけどね(笑)。ネットとかで見つけて注文すると、新聞紙でくるんだだけの梱包で送られてくることもあるし。ちゃんとした楽器を買うなら職人さんに直接注文するのが一番ですよね。いま、ニッケルハルパの職人さんって何人くらいいるんですか?
榎本:スウェーデンで専門的にニッケルハルパをつくっている職人さんは、10人弱でしょうか。ただ、職人さんがいろんな地方を巡りながらつくり方を教えていた時期もあったそうで、趣味でつくられていることもありますね。
トクマル:値段はいくらくらいするんですか?
榎本:20万から60万円くらいのものが多いです。上限は100万円くらいですね。
—トクマルさんは、楽器を自作したことあります?
トクマル:そういう企画の仕事をいただいて、やってみたことはあるんですけど、難しかったですね。かなり緻密な計算に基づいてつくられていて、僕にはやり遂げる根気がなかった(笑)。楽器は集めるので精一杯です。
—小さい頃は、ギターを買ったそばから弦を切り、分解したこともあるそうですね。
トクマル:なぜ音が鳴るのか、ということにすごく興味があるんですよね。たとえばピアノなんて、見た目あんなにツルッとしているのに、中を開けるとめちゃくちゃワンダーな世界が広がっているじゃないですか(笑)。「なんてことだ!」って。そういうことに、ゾクゾクしていたんだと思います。
—珍しい楽器を手に入れたことがきっかけになって、新しい曲ができることもありますか?
トクマル:ありますね。新しい楽器を買って、それで遊んでいるうちに曲ができることは多いです。その楽器の特性というか、その楽器にしか出せない音によって、新たなインスピレーションが湧き上がるんですよね。
—普段から弾きなれている楽器ではないからこそ、不自由な中で工夫して曲が生まれることもありそうですよね。
トクマル:そうですね。正式な弾き方をマスターせずに遊ぶから、新しいフレーズが生まれたり、新しい音色を発見したりすることはあります。ニッケルハルパも、いじっているうちに新しい音楽が生み出せそうな気がする。欲しいなぁ(笑)。
1本で、これだけ豊かな響きを出したり、広がりを見せたりする楽器ってあまりないと思う。
—ニッケルハルパを実際に弾いてみて、どんな感想を持ちましたか?
トクマル:実物を見るのも今日が初めてだったのですが、すごく珍しい楽器ですよね。まず、弓で擦る弦のほかに、共鳴用の弦がついていて、それがなんともいえない豊かな響きやハーモニーを生み出している。なおかつ、鍵盤を左手の指で押さえて音程を変えるという。こんな組み合わせの楽器って、ほかにないんじゃないかなって思います。
榎本:そもそもニッケルは「鍵盤」、ハルパは「ハープ=弦楽器」という意味なんです。鍵盤がついた弦楽器ということでいえば、日本では大正琴がありますね。中世ヨーロッパから伝わるハーディ・ガーディ(ハンドルを回して音を奏でるヴァイオリンのような楽器)という楽器にも似ているといわれています。
トクマル:ハーディ・ガーディは、ドローン弦(持続音を鳴らすための弦)はついていますが共鳴弦はついていないですよね。細かいニュアンスや高音域を出すのは、ニッケルハルパのほうが得意なんじゃないかな。
榎本:ちなみに、いまトクマルさんが持っているタイプは、「最新型」のニッケルハルパです。時代によって楽器の姿が変わっていて、形状も弾ける音階もまったく違うんですよ。しかも、現行のニッケルハルパのなかでも、個体差がすごくあって。ヘッドの形も、色も、鍵盤の数すらも違うんです。
—そもそも、どのように生まれた楽器なのですか?
榎本:諸説あるのですが、スウェーデンのゴットランド島(ストックホルムから南東に約100km。バルト海に浮かぶ島)の教会に、この楽器を持った人を描いたレリーフがあるんです。14世紀中頃に彫られたものとされていて、この楽器の最古の記録といわれています。スウェーデン中部のウップランド地方を中心に伝承されていったようですね。でも、弾き手やつくり手がどんどん減ってしまったことから、1920年頃に、現代音楽に合わせて半音階が弾けるように改良されたんです。
トクマル:そうか。大昔は半音階なんて存在しなかったはずですもんね。もともとは、どんな音楽を演奏するためにつくられたんでしょうね?
榎本:農民たちの楽器として、土着的な民族音楽を奏でることが多かったようです。あとは、たとえばワルツとか、ポルスカというスウェーデン独特のダンスの伴奏にも使われますね。1本で演奏する場合もあるし、1人が主旋律を弾き、もう1人が伴奏するアンサンブルもポピュラーです。共鳴弦があるので、1人で弾いてもかなり豪華な響きになるんですよ。少し弾いてみましょうか。
(ニッケルハルパを演奏する)
トクマル:すごい……。1つの楽器で、これだけ豊かな響きを出したり、広がりを見せたりする楽器ってあまりないと思うんですよね。音色的には、インドのエスラジ(革を張ったボディに、シタールのような長いネックがついた擦弦楽器)のようなサウンドを連想させます。ただ、こういう繊細な倍音や、ハーモニーとは違いますよね。
—インドの古典楽器でいえば、サントゥール(ピアノの原型となったといわれる打弦楽器)にも似ていますよね。ピチカート奏法だと、よりサントゥールっぽい響きになる。
トクマル:ああ、たしかにそうですね。榎本さんは、どんなきっかけでニッケルハルパを手にしたのですか?
榎本:もともとは、ヴァイオリンをやっていました。大学時代に友人のバンドに誘われてスウェーデン音楽をやるようになり、友人から借りてニッケルハルパを弾きはじめたんです。そこで、ちょっとフォーキーでどこか懐かしいスウェーデンの音楽にすっかり魅了されてしまって。「もっとニッケルハルパが上手くなりたい」と思い、気付いたら留学までしていました。
トクマル:すごいですね(笑)。弓は、ヴァイオリンよりも小さいんですね。
榎本:そうですね。僕は最初の頃、子供用のチェロの弓を使っていました。
トクマル:弦は何を使っているのですか?
榎本:弓で弾く4本の弦は、スチール弦です。全部で12本ある共鳴弦は、僕はギターの弦を代用しています。ちなみに共鳴弦のチューニングは、各音階ピッタリじゃなくて、数セントずつ高かったり低かったりするんです。「ヨン・オルソン・チューニング」というのですが、それが最も美しい響きだとされています。
トクマル:ヨン・オルソン・チューニング……。これは覚えておいたほうがいいですね。「この曲は、ヨン・オルソン・チューニングでつくりました」とか言いたくなりますね(笑)。
北欧の冬はめちゃくちゃ寒かったけど、向こうの人たちはすごく楽しそうにしていたんですよ。
—榎本さんは、スウェーデンに留学していたとき、ニッケルハルパの職人さんとも交流があったそうですね。
榎本:はい。音楽学校に行っていたときに、ニッケルハルパの職人さんが近くに住んでいたので、修理とメンテナンスをテーマに、その職人さんのところに通いました。
—印象に残っていることはありますか?
榎本:みんな伸び伸びと暮らしている感じはしましたね。夏の間に森に木を伐りに行って、夜が長い冬になると作業場にこもって製作に打ち込む。楽器づくりにはこだわりながらも、余暇はたっぷりと楽しんでいました。
—トクマルさんも、何度か北欧ツアーを行っていますよね。
トクマル:スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランド……フィンランド以外の国は全部行ったと思います。現地の人たちと触れ合ったわけではないんですけど、とにかく自然がたくさんあって。街から街までが遠かったなあ、という思い出が(笑)。
榎本:ひたすら森、湖、森、湖っていう感じですよね。
トクマル:そう。景色はものすごく綺麗だから感動したんですけど、見わたす限り絶景だらけなので、わけわかんなくなってました(笑)。何度か行ったので、いろんな季節を経験しています。冬はめちゃくちゃ寒かったけど、向こうの人たちはすごく楽しそうにしているんですよ。「北欧の人たちは暗い」って言う人もいますけど、夜になるとちゃんとパーリーピーポーたちが出歩いていましたし(笑)。
榎本:お酒が入ると陽気になる人が多くて、その落差には僕も驚きました(笑)。スウェーデンって、お酒の入手がすごく大変なんですよ。昔から教会がお酒の管理をしていたので、いまでも「システムボラーゲット」という国営のお店じゃないと、3.5パーセント以上のアルコールが入った飲み物を買うことができない。飲食店やライブハウスで飲むことはできるんですけどね。
トクマル:だから、ライブハウスにいる人たちはあんなに楽しそうだったのかな。
榎本:お酒を買うためだけに、隣の国に行く人も多いですよ。船の中にある免税店でお酒を買って、向こうで一泊してたっぷり飲んで、帰りの船でもまた買って、スウェーデンに着いたらバスの中でヘベレケになる。
そんな国民性だからか、スウェーデンのフォークミュージックには、お酒のことを歌った歌が多いんです。「お金が手に入ったら、あの子に1杯奢ってあげよう」とか「今日は値段を気にせず飲み明かそう」とか(笑)。トクマル:お酒の歌が多いんですね(笑)。オススメのスウェディッシュ・フォークはありますか? できればスウェーデン語で歌っているものがいいです。
榎本:地域によって差があるのですが、ウリカボーデンという人がモダンなフォークミュージックを歌っていて有名ですね。あとクラヤという、女の子4人のアカペラグループもおススメです。ものすごく綺麗なハーモニーで、昔の歌を聴かせるんですよ。
最近よく思うのは、「日本語ってハーモニーよりユニゾンで歌いたくなる言葉だな」ということなんです。
—スウェーデン語で歌われている、というところがいまのトクマルさんにとって重要なポイントなのでしょうか?
トクマル:はい。いま、ローカルな言葉で歌われている曲に興味があるんです。たとえば日本語のまま大ヒットした坂本九の“上を向いて歩こう”のように、その言葉のまま海外で通用する音楽というのもありますよね。国が違えど、異なる言葉のまま伝わるって素敵だと思っていて。僕自身も日本語詞のまま海外で歌っているので、そういったことを研究したいなと思っていて。
—言葉も楽器の一種と捉えると、歌っている言語によっても響きは変わりますし、メロディーの成り立ちにも大きな影響を及ぼしていますよね。
トクマル:そうですね。その言語自体が持っているテンポ感とか、言葉遊び的なものも、すごくおもしろいです。
—Ásgeirのデビュー盤(『Dyrd i dauoathogn』)は、アイスランド語で発表した後、英語でもリリースされていますが(『In the Silence』)、両方を聴いてみると全然違うんですよね。母国語のほうが神秘的だし、なじみがいいというか。
トクマル:アイスランドのSigur Rósもそうですけど、最初に聴いたときの衝撃がすごかったんです。「なんだろうこの言葉の響き!」って。まるで呪文のように聞こえるのに、違和感なくすっと体に入ってくる感じが不思議だった。
榎本:スウェーデン語には母音が9個あって、日本語の発音にはないものもあります。そういう言葉で歌われたメロディは、日本では思いつかないかもしれないですよね。
トクマル:ああ、なるほど。面白いですね。最近よく思うのは、「日本語ってハーモニーよりユニゾンで歌いたくなる言葉だな」ということなんです(笑)。みんなで一緒に、同じ音程で歌いたくなるというか。
—みんなでそろって歌うのが得意とか、日本人の気質によるところも大きいかもしれないですね。あらためて今回、初めてニッケルハルパに触れてみた感想はいかがですか?
トクマル:やっぱり、僕にとっては構造の面白さが一番の魅力ですね。「最果て」ともいえる北欧の楽器というのは、いわば「1つの到達点」なのかなと思いました。アラブで広がったバラエティに富んだ楽器が、ヨーロッパを伝わって行くなかで、いい部分がくっついたり、要らない部分が省かれたりして。「全部足しちゃえ!」みたいな楽器もあって、ニッケルハルパはそういう楽器なのかもしれないですね。
—たしかに、いろんな楽器の特徴を併せ持っていて、キメラっぽいですよね。
トクマル:そう、見た目もカッコいいですしね。やっぱり欲しいな。持ち帰っていいって言われたら、すぐバラバラにしちゃうと思いますけど(笑)。
- プロフィール
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- トクマルシューゴ
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さまざまな楽器や非楽器を用いて作曲・演奏・録音をこなす音楽家。2004年NYのインディレーベルより1stアルバムをリリース、各国のメディアで絶賛を浴びる。以降、国内外ツアーやフェス出演、映画・舞台・CM音楽の制作など幅広い分野で活動。2016年、4年ぶりとなるアルバム『TOSS』をリリース。現在、日本テレビにて放送中の、東京03×山下健二郎(三代目J Soul Brothers)×山本舞香5人による新感覚シチュエーション・コメディ『漫画みたいにいかない』の劇伴音楽を担当。同作のサウンドトラックCDをリリースするなど、活動のフィールドをますます広げている。
- Drakskip (ドレクスキップ)
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スウェーデンの伝統楽器ニッケルハルパ、ノルウェー生まれの弦楽器ハルダンゲル・ダモーレ、12弦ギター、パーカッションというユニークな編成の4人組バンド。北欧を中心に世界中の音楽を取り込んだサウンドで人気を集める。フィンランドとスウェーデン計4都市の伝統音楽フェスティバルにて演奏、本場でも高い評価を得ている。