ムーミンを深掘り。翻訳家・岸本佐知子がトーベ・ヤンソンに迫る

ムーミンを深掘り。翻訳家・岸本佐知子がトーベ・ヤンソンに迫る

インタビュー・テキスト
倉本さおり
撮影:中村ナリコ 編集:川浦慧、野村由芽

翻訳家というのはラジオのようなもの。

―岸本さんは日本翻訳大賞の選考委員も務めていらっしゃいますよね。翻訳家という立場からご覧になったトーベ作品の魅力はどんなところにあると思いますか?

岸本:どれも描写がとても精密で美しい。とくに孤独をテーマにした話は文章が男前というか、しびれるような硬派でかっこいい言葉遣いの連続。これは翻訳自体の力もあると思います。

岸本佐知子

―自分が知らない言語の翻訳でも、やっぱり訳文の良し悪いというのはわかるものなんですか?

岸本:難しい問題ではあるんですが……たとえば、この『黒と白』の場合だったら、短編ごとに訳し方が明らかに違う。フォームが異なっているのがきちんと伝わってくる。

なにより、行ったこともないフィンランドの景色が浮かんできます。翻訳にとっていちばん大事なことは、読んでいる人の頭の中にイメージが湧くこと。それは、まず翻訳者が原文を読んで頭の中にしっかりイメージを構築しているから可能なことなんです。どんなに文章自体が正確だったとしても、訳者自身がイメージできていないものは読者にも伝わらない。

―なるほど。ご自身が翻訳の際に意識していることや気を付けてらっしゃることはありますか?

岸本:私が師匠から教わったのは、とにかく「直訳がベストである」ということ。本当に力のある作品は、他の言語に変換しても面白さは変わらないはずだから、奇を衒わず忠実に訳せばすべては伝わる、と叩き込まれまして。でもそれは逐語訳というのとは違うんです。直訳するためには、逆に字面からは離れる必要も、時にはある。

私は、翻訳家というのはラジオのようなものだと考えています。あくまで電波を受信して音を鳴らすだけで、自分自身のメッセージを発信するものではない。とはいえ良い音で鳴るためには、アンテナの感度とスピーカーの調子がものすごく重要になってくる。そういう部分のメンテナンスは常に怠らないようにしたいです。

岸本佐知子

―翻訳家=ラジオとは、面白いですね。

岸本:ちなみに、今回のインタビューに際して思い出したことがあって。私、中学生のときに「洋書が読んでみたい!」と思い立って、トーベ・ヤンソンの『THE SUMMER BOOK』という、英語に翻訳されたペーパーバックを買って読んでみたことがあるんです。

―『少女ソフィアの夏』(渡部翠=訳、講談社)という名前で日本語訳も出ている作品ですね。

岸本:「ムーミンの作者の本だし、きっと易しい内容だろう」と当て込んで手に取ったのですが、中学生には歯が立たず、3ページくらいで挫折してしまいました……。でも、それだけしか読んでないのにもかかわらず、そのときの印象はくっきり心に刻まれています。

というのも、主人公の少女がいきなり本人に向かって、「ねえ、おばあちゃんいつ死ぬの?」なんて聞いちゃう場面が出てくるんですよ(笑)。そもそも、おばあさんが落とした入れ歯を探す話から始まるというのもなかなかに不穏。「ほのぼの」とはほど遠いですよね。当時は、なんだかイメージと違うな、と感じたのですが、今回トーベ・ヤンソン作品を改めて読み直してみて腑に落ちました。

岸本佐知子

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プロフィール

岸本佐知子(きしもと さちこ)

1960年神奈川県生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。主な訳書にミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(新潮社)、ニコルソン・ベイカー『中二階』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』(以上白水Uブックス)、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』(KADOKAWA)、ショーン・タン『夏のルール』、スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(以上河出書房新社)。主な編訳書に『変愛小説集』『楽しい夜』(講談社)、『居心地の悪い部屋』(河出文庫)。編書に『変愛小説集 日本作家編』(講談社)がある。『ねにもつタイプ』(ちくま文庫)で2007年講談社エッセイ賞を受賞している。

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