ムーミンを深掘り。翻訳家・岸本佐知子がトーベ・ヤンソンに迫る

ムーミンを深掘り。翻訳家・岸本佐知子がトーベ・ヤンソンに迫る

インタビュー・テキスト
倉本さおり
撮影:中村ナリコ 編集:川浦慧、野村由芽

暗さや苦さこそが、この作者らしさなのかなという気がしています。

―ムーミンシリーズの中でも、今回岸本さんには『ムーミン谷の彗星』(下村隆一=訳、講談社文庫)を選んでいただきました。彗星が地球に向かってやってくることがわかり、生きものたちがパニックになるところから物語が始まります。

岸本:これ、シリーズものになることを意識してから書かれたムーミンの中では、いちばん初めに発表された作品なんですよね。なのに、いきなり地球が滅亡の危機に晒されてしまう(笑)。予想外にダークな出だしでびっくりしました。

岸本佐知子

―登場するキャラクターも、一般的に流通しているイメージとはちょっと違いますよね。

岸本:たとえばムーミンの友だちのスニフ。アニメの中でも、弱虫で臆病でめそめそしているキャラという印象がありましたが、原作だと五割増しくらいでウザい(笑)。

なんというか、けっこう俗物なんですよね。相手が自分より小さいか大きいかに異常にこだわっていたり、宝石が大好きだったり。

―何かが起きるとすぐ人のせいにしたり(笑)。

岸本:ムーミンママが用意してくれたケーキに、自分の名前が書いてないことにいじける場面がありますが、今まさに彗星がぶつかるぞっていう非常事態なのに、拗ねて外に飛び出して行ってしまう……。私はいじけキャラに同化してしまう傾向にあるので、イラッとしつつも何度も頷きながら読み進めていました。

岸本佐知子

―他のキャラも、完璧な善人というわけではけっしてない。

岸本:そう。ムーミンだっていかにも子供っぽくて自己中心的なところがあるし、スノークは仕切りたがり屋でやたらと会議をしたがるから、けっこうめんどくさいし。みんな欠点だらけなんだけど、でも誰ひとり「悪者」扱いされていないんですよね。

―なんだかんだ許されて受け入れられているというか。

岸本:あえて悪者として想定するなら、地球を壊そうとしている彗星なんですが、その彗星ですら作者は断罪せず、「ひとりぼっちで気が狂ってしまった星」という書き方をする。私、ここを読んでちょっと泣きました。

―トーベ作品の魅力でもありますよね。

岸本:この作品にも、やっぱり「はしっこにいる人たちの視点」が描かれていると思うんですよ。

―それが作品世界全体に漂うおおらかさにもつながる、と。

岸本:そうです。ついでにいえば、出てくる女性がどれも肝っ玉というか、どすこいキャラ(笑)。ムーミンママなんかその代表ですよね。たとえば家にあった鉢をパパが落として割ってしまっても、「いいのよ、あんなもの、割れてしまったほうが良かったのよ」なんて言ってぜんぜん動じない。とにかく大物なんです。

―ムーミンも信頼しきっていますもんね(笑)。

岸本:あの絶大なる信頼感はちょっと面白いですよね。パパが芸術家肌で実生活の役にはあまり立っていないぶん、しっかり者のママがぜんぶ切り盛りしているという関係性は、作者であるトーベ・ヤンソン自身の両親の姿に重ね合わせられるらしいんです。

トーベのお父さんは彫刻家で収入が安定しないぶん、グラフィックアーティストであるお母さんが商業的なイラストをバリバリこなして生活を支えていたそうです。そして芸術家一家だったから、変わり者の芸術家仲間がしょっちゅう家に出入りしていた。だからトーベは人間の造型には事欠かなかったと思います。そういう作家自身の背景も、ムーミン谷の仲間たちのキャラに反映されているのがよくわかります。

―この作品が書かれたのは、ちょうどフィンランドがソ連との長い戦争に敗れた頃だったんですよね。

岸本:そう、だから全体的にどことなく暗くて重たい空気が漂っている。シリーズ化が決まる前に書かれた最初のムーミン作品(『小さなトロールと大きな洪水』)は、洪水に追われてしまった一家がムーミン谷に住み着くというお話なんですが、洪水といえば『ノアの方舟』を連想させるし、どことなく旧約聖書を思い起こさせます。

また、新約聖書の「ヨハネの黙示録」には「ニガヨモギ」という名の星が落ちてきて、すべての川が苦く汚染されてしまい生きているものが滅びてしまうという記述があるのですが、これも『ムーミン谷の彗星』とよく似ていますよね。世界がどす黒くなって、海も干上がって生きものたちが打ち上げられてしまうんです。

このあとに書かれたムーミン作品はもうちょっと私たちの想像していたイメージに近いみたいですが、『ムーミン谷の彗星』にあるような暗さや苦さこそが、この作者らしさなのかなという気がしています。

―岸本さんが持ってきてくださった『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界―ムーミントロールの誕生』(冨原眞弓、青土社)は、ムーミンの創作エピソードと併せてフィンランドの社会情勢について言及されている本ですよね。

岸本:『黒と白』をはじめ、彼女の作品をいくつも訳していらっしゃる冨原眞弓さんによる、とても面白い研究書なんですが、これを読んでいろんなことがわかって興味深かったです。「ガルム」というのはスウェーデンの雑誌の名前で、敗戦で苦しんでいたときに民族の怒りとか哀しみを風刺の形で代弁するような役割を担っていたらしいんです。トーベは15歳くらいからそこに挿絵を描いていたのですが、いつの頃からか、隅っこのほうにムーミンらしきものが登場するようになるんですよ。

岸本佐知子

―その頃から、ムーミンの原型が現れていたんですね。

岸本:トーベにとって、「ムーミン」という名前は最初は家に棲む魔物のことを意味するものとして記憶されていたらしいんです。昔、おじさんに「ストーブの裏にはムーミントロールという魔物が住んでいて、盗み食いをすると首の後ろにつめたい息を吹きかけるんだぞ」と脅されたんだとか。なにしろ寒い国に住んでるものだから、そのエピソードの印象は強烈だったらしい(笑)。

だから彼女の中では当初、「ムーミン」=「怖いもの、不気味なもの」というイメージだったようなんです。

―妖精、というよりは妖怪に近いイメージでしょうか。

岸本:だと思います。たとえば、彼女がドイツにいるおばさんの家に遊びに行った頃のこと。当時はナチス政権下にあって、みんな盗聴されているんじゃないかと怯えながら暮らしていた。そのときに描かれたムーミンは、黒いんです。人びとの不安を象徴するものとしてムーミンの絵を描いていたわけですね。

今は日本でも北欧ミステリーの人気が高くなっていますが、なんとなく、重苦しくて陰惨なイメージがありますよね。だから、今回ムーミンシリーズを読む前は、ムーミンやトーベ・ヤンソンの世界とはあまり結びつかないなと思っていたのですが、やっぱり共通している部分はあるんだなあと感じました。

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プロフィール

岸本佐知子(きしもと さちこ)

1960年神奈川県生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。主な訳書にミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(新潮社)、ニコルソン・ベイカー『中二階』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』(以上白水Uブックス)、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』(KADOKAWA)、ショーン・タン『夏のルール』、スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(以上河出書房新社)。主な編訳書に『変愛小説集』『楽しい夜』(講談社)、『居心地の悪い部屋』(河出文庫)。編書に『変愛小説集 日本作家編』(講談社)がある。『ねにもつタイプ』(ちくま文庫)で2007年講談社エッセイ賞を受賞している。

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