スウェーデン最大級の#MeToo 運動を呼んだ、1つのスクープ。沈黙させられてきた女性たちの声を拾う

スウェーデン最大級の#MeToo 運動を呼んだ、1つのスクープ。沈黙させられてきた女性たちの声を拾う

2021/12/23
インタビュー・テキスト
後藤美波

日本でも毎年、賞の行方が話題になる『ノーベル文学賞』。その発表が中止になった2018年の出来事を覚えているだろうか。

『ノーベル文学賞』を選考するスウェーデン・アカデミー会員の夫であり、アカデミーとも関係の深い「文化人」に対し、18人もの女性が性的暴行を受けたと告発したのが事の発端。この対応をめぐってアカデミーで内紛が起こり、女性初のアカデミー事務局長だったサラ・ダニウスを含む5人の会員が活動に参加しないと表明する事態となった。アカデミーは「世間の信頼を失った」ことを理由にその年の文学賞発表を見送ったのだった。

2021年9月に邦訳が刊行された書籍『ノーベル賞が消えた日──スウェーデンの#MeToo 運動、女性たちの闘い』(平凡社)は、スウェーデン国内の「#MeToo 運動」を背景にした、この一大スキャンダルの内幕を描いている。著者は、「文化人」への告発記事を書いた新聞記者マティルダ・ヴォス・グスタヴソン。世界でもっとも男女平等が進んでいる国の一つとされるスウェーデンで、なぜ非道な性的暴行が長年にわたって明るみに出ず、女性たちはどのように沈黙させられてきたのか。本書の翻訳を手がけたスウェーデン在住の翻訳家・羽根由に話を聞いた。

2017年の#MeToo 運動に火をつけた米紙の調査報道に触発

『ノーベル文学賞』の発表中止は、1901年から続く同賞の長い歴史のなかでも、異例の出来事。この事態のきっかけとなったのが、一つのスクープ記事だった。その内容は、『ノーベル文学賞』を選考するスウェーデン・アカデミーと関わりの深い「文化人」ことジャン=クロード・アルノーが長年にわたって行なってきた女性たちへの性暴力を告発するもの。書いたのは、スウェーデン最大の日刊紙『ダーゲンス・ニューヘーテル』文化部記者で、1987年生まれの女性記者マティルダ・ヴォス・グスタヴソンだ。

グスタヴソンの記事が世に出たのは、世界的に「#MeToo 運動」が高まっていた2017年11月──映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性的暴行を告発した「ニューヨーク・タイムズ」による報道の約1か月後のことだった。本書『ノーベル賞が消えた日──スウェーデンの#MeToo 運動、女性たちの闘い』には、グスタヴソンが同紙の調査報道に触発されて取材を始めてから、アルノーの裁判の有罪判決が出るまでの約1年半の様子が綴られている。

マティルダ・ヴォス・グスタヴソン著、羽根由訳『ノーベル賞が消えた日──スウェーデンの#MeToo 運動、女性たちの闘い』
マティルダ・ヴォス・グスタヴソン著、羽根由訳『ノーベル賞が消えた日──スウェーデンの#MeToo 運動、女性たちの闘い』(サイトを見る

アルノーへの告発とスウェーデン・アカデミーの内紛、そして『ノーベル文学賞』の発表中止という一連の事件は、国を揺るがす大事件だった。当時もリアルタイムで報道に触れていたという羽根は、事件のインパクトをこう語る。

「この事件は毎日ニュースになっていました。初めは『クルトゥールプロフィーレン(スウェーデン語で文化人)』と匿名で呼ばれていたのに、『ノーベル文学賞』の中止が発表された途端に『ジャン=クロード・アルノー』と本名で報道されるようになったんです。それはスウェーデンでは本当に珍しいことで。

犯罪者でも名前を公表することがほとんどないような国なのに、まだ裁判で罪状が確定していない人について、国営テレビなどが本名で報道し始めた。それくらいインパクトが大きい事件だったんです。

『ノーベル賞』は国をあげての賞で、賞金は1億円を超える大きい金額ですし国のプライドもかかっています。その看板である文学賞が飛んでしまったというのは、本当に大スキャンダルでした」

芸術家や知識人の集う地下の文化サロンと、権威の象徴である閉ざされたアカデミー。何十年もの嘘が暴かれた

1989年、ジャン=クロード・アルノーは、妻であり著名な詩人カタリーナ・フロステンソンとともに地下サロン「フォーラム」をオープンさせる。著名な芸術家や知識人が集うその場所は、「文化エリート」の交流の場だったという。

フロステンソンはスウェーデン・アカデミーの会員で、「フォーラム」はアカデミーから資金を得ていた。アカデミーは奨学金やさまざまな賞金を出していることから、文学界で苦労する作家にとって非常に重要な機関であり、業界に絶大な力を持つ。会員の任期は終身制で、秘密保持契約を結ぶため外部からは情報にアクセスできない。文壇のエリートたちで構成される、特権的で非常に閉ざされた組織だ。

アカデミー会員も訪れる上流階級の文化サロンである「フォーラム」は、芸術を志す若者たちにとって憧れの場だった。その主人として文化界への影響力を得たアルノーは、周囲の女性たちに次々に手を出し、自身の立場を利用して沈黙させた。その行為は長いあいだ黙認されてきた。アカデミーが所有するパリのアパートもいくつかの被害の現場となった。

本書は、こうした長年にわたるアルノーの行ない、そして女性たちが沈黙させられてきた構造を、さまざまな立場の被害者たちの証言によって暴き、不祥事が明るみになってもなお変化を拒む古参の男性アカデミー会員と、改革を図る女性局長の対立をも顕わにする。翻訳を手がけた羽根は本書を初めて読んだときの感想を、「この事件について詳しく解説された本が出たことがまず嬉しかった」と話す。

「著者はジャン=クロード・アルノーはどんな人物だったのか、ということに焦点を当てて調べています。本にもあるように、彼の経歴は嘘ばかりだった。それなのに彼の周りの人物もスウェーデンのメディアも疑おうとしなかった。それが何十年も続いていて、有名な詩人と結婚し、スウェーデン・アカデミーと親しいからパーティーに呼ばれたりもしていた。結局、周囲の人たちにとって彼は、自分たちが思いどおりに描ける空っぽの人物であれば良かったんです。そのことを暴いたという点で良いルポだと思いました」

羽根由Twitterより。グスタヴソンが2017年11月に発表した「ダーゲンス・ニューへーテル」の記事

羽根由(はね ゆかり)
翻訳家。大阪市立大学法学部卒業。スウェーデン・ルンド大学法学部修士課程修了。訳書に『グレタ たったひとりのストライキ』(海と月社)、『マインクラフト 革命的ゲームの真実』(KADOKAWA)、共訳書に『「人間とは何か」はすべて脳が教えてくれる』(誠文堂新光社)、『ミレニアム4』『熊と踊れ』(ともに早川書房)、『海馬を求めて潜水を』(みすず書房)などがある。スウェーデン在住。

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書籍情報

『ノーベル文学賞が消えた日──スウェーデンの#MeToo 運動、女性たちの闘い』
『ノーベル文学賞が消えた日──スウェーデンの#MeToo 運動、女性たちの闘い』

2021年9月15日(水)発売
著者:マティルダ・ヴォス・グスタヴソン
翻訳:羽根由
価格:2,530円(税込)
出版:平凡社

プロフィール

羽根由(はね ゆかり)

翻訳家。 大阪市立大学法学部卒業。スウェーデン・ルンド大学法学部修士課程修了。 訳書に『グレタ たったひとりのストライキ』(海と月社)、『マインクラフト 革命的ゲームの真実』(KADOKAWA)、共訳書に『「人間とは何か」はすべて脳が教えてくれる』(誠文堂新光社)、『ミレニアム4』『熊と踊れ』(早川書房)、『海馬を求めて潜水を』(みすず書房)などがある。スウェーデン在住。

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