ストックホルムの「文化拠点」が、都市に良い影響を与えている
ストックホルムと東京に拠点を置き、文化の力で「都市の編集」を行なう松井明洋(MEDIASURF)のコラム。前編では、「ストックホルムの街の魅力と、クリエイティブな都市の要素」について綴りました。
後編では、都市に良い影響を与えているというストックホルムの文化拠点がどのように生まれたのか、MEDIASURFが東京に持ち込んだ拠点のなかから2つの事例をご紹介。そこから、魅力的な都市に発展する要素や、東京の可能性を考察していきます。
これまでMEDIASURFは、ストックホルムで注目されている文化拠点をいくつか日本に進出させてきました。その代表例として、まず挙げたいのがロースター&カフェ「STOCKHOLM ROAST」(※日本での店舗名は現在「SR」)です。ビジネス面を担当するヨハン・アルグレンと焙煎士のオナー・カルベイの二人を中心に、豆の輸入から焙煎、卸販売までを行なっています。
「STOCKHOLM ROAST」の本拠地は、ストックホルム中心部から南に電車で25分ほど行った郊外にあります。最初は別の場所に構えていましたが、2年ほど前にもともと精肉工場群の一帯だった現在地に移転。現地の人々にとって突如現れた「STOCKHOLM ROAST」は、オアシスのような存在になりました。
コーヒーが、都市を魅力的にする第一歩に。STOCKHOLM ROASTの考え方
「STOCKHOLM ROAST」が誕生したのは、いまからさかのぼること約10年前。ある夜、ヨハンとオナーはワインを飲みながら、「もし願いがかなうならば、クオリティーにとことんこだわった、本当においしいコーヒーを焙煎するロースタリー(焙煎所)がやりたいね」と自分たちの将来について語り合っていたそうです。
驚くことにその翌日、Stockholm Roastというロースタリーをやっている友人から電話があり、「自分は引退をしようと思う。うちのロースタリーのビジネスを、ブランドや設備含めて買わないか?」と連絡があったといいます。映画のようなタイミングの良さが彼らの背中を押して、ほぼ即決でビジネスを引き継ぐことに。こうして現在の「STOCKHOLM ROAST」が誕生しました。
こだわりのおいしいコーヒーを提供するのは大前提として、彼らがほかのロースター&カフェと一線を画すのは、「コーヒーはあくまでもコミュニティーづくりの媒介の一つである」と言い切るところ。「会話が捗り、アイデアが生まれる」。そんな光景をつくり出すための一要素としてのコーヒーであるという考え方です。
彼らが都心ではなく、あえてストックホルムの郊外を拠点に選んだ理由にも、その考えが関係しています。そこには、「魅力的な街文化を築くにはどうすれば良いのか。まずはおいしいコーヒーを飲みながら話し合おうよ」というメッセージが込められているのです。
われわれMEDIASURFも3年前に彼らと一緒に日本法人をつくり、いまでは東京の日本橋兜町をはじめとする都内3か所で「SR」を運営中。「SR」が日本橋兜町にきたことで、コーヒースタンドとしてだけでなく、エリアのおすすめ店舗やイベント情報なども提供できる「街の小さな案内所」としての役割も微力ながら果たしているように思います。「多様な文化をつくり出すきっかけになるコーヒー」というあり方を、現在も本国の彼らと一緒に探求し続けています。
都市のムードや常識を変えていく。ストックホルム発のブルワリーの独自スタイル
そして、もう一つの代表例が「ビールのあり方を変える。永遠に」というテーマのもと活動しているブルワリー(ビール醸造所)の「Omnipollo(オムニポロ)」。ビール醸造を担当するヘノク・フェンティと、ブランディングやグラフィックを担当するカール・グランディンによって2010年に設立したブルワリーです。
独自のビールのレシピとブランディングを武器に、既存の概念にとらわれず、自分たちを新しいライフスタイルブランドであると定義して活動しています。
彼らがとてもユニークなのは、ビールを表現方法のツールとして捉え、世の中に自分たちの意思を発信し続けている点です。その代表例が、資本主義のあり方を問いかける数量限定のビール「GONE」や、人種差別や多様性を否定する行動する人たちを辛辣に批判した「Yellow Belly」など。味とデザインのバランスの先にある、ビールを一つのメディアとして見立てている点は唯一無二な試みだと思います。
そんな彼らの日本進出をぼくらがサポートすることになったきっかけは、2018年末のこと。ストックホルムの旧市街にあった彼らのオフィスで雑談をしているときに、「日本橋兜町というエリアが大きく変わる。ぼくらMEDIASURFも、そこで仲間たちとホテルやカフェ、レストランをやろうと思っていて、文化の力で都市を再活性化させたいんだ」という話をしました。
さらに、兜町で70年ほど続いた鰻屋さんだった空き物件の写真を見せたところ、「ぼくたちもここでやりたい」と乗り気に。「都市のムードを変えるという大きなムーブメントに乗らない手はないね。兜町は行ったこともないけど、歴史ある街をカルチャーの力で変えようという試みがアメージングだし、ビールで常識を覆したい自分たちとしてもぜひチャレンジしたい」と言ってくれました。
そこからとんとん拍子に話は進み、日本初出店が決定。経済的なリスクや諸条件うんぬんではなく、自分たちの直感を信じて判断していく彼らはまさにクリエイティブな起業家だな、と思った記憶があります。
都市が学校の役割を担うストックホルム。そこから東京が学ぶべき点とは?
彼らだけでなく、ストックホルムの野心あるベンチャーに共通しているのは、社会の微妙な温度感の変化を読み取り、状況やニーズを把握しながらも、自分たちの大切にしたい意思や価値観を貫く姿勢と能力です。
こうした姿勢と能力が育まれた土壌には、文化や宗教、セクシャリティーなどにおいて多様な価値観を許容するストックホルムの環境が、大いに影響していると思います。
さまざまな意思や考えが渦巻くストックホルムで育った若者たちは、あらゆる物事に対して寛容になり、価値観の幅が広がりやすくなる。そしてなにより、他者の意思を尊重する社会のなかで育つと、自分の意思や独自性も大事にすべきという考えが自然と身につくのではないでしょうか。
いわば、都市の持つ多様性が、新たな価値観や考えを若者に教えているのです。大げさかもしれませんが、「都市が学校のような役割を担っているのではないか」と、個人的には感じています。
一方、東京はどうでしょう。「都市の魅力」についていろいろな国の友人たちと話していると、「東京は1990年代から2000年代初頭は最高にクールだった」とよく言われます。
当時は、『東京デザイナーズブロック』などのデザインが街を包むようなイベントや祭典がたくさん行われると同時に、裏原宿のファッション文化をはじめとした多様なポップカルチャーが輝きを放っていた。その独自性は他国の大都市の追従を許さず、世界中にインパクトを残し、あらゆるジャンルで影響を与えていました。
そういった東京の混沌としたカラフルな状況を、世界中のクリエイティブ・クラス(※芸術家、デザイナー、メディアの発信者など、新しい価値を生み出す知識労働者)といわれる人々が祝福していたし、若者たちにも良い影響を与えていたと思います。
それから20年近く経ち、パリやニューヨーク、オレゴンのポートランド、ロンドン、ベルリン、コペンハーゲンにストックホルムなど、都市から都市へと「世界の文化トレンドの中心」は時代とともに移ろい続けてきました。
東京は世界をリードするような都市に返り咲けるのでしょうか。そのヒントは、ストックホルムの多様性と寛容性にあると感じます。東京がふたたび世界から注目されるような都市に発展するには、それぞれの意思を尊重して認め合う文化や、失敗が許容される社会を築いていくことが大前提だと思います。
人の目を気にしすぎることなく、自分の意思と向き合って突き詰めていけるような都市の環境こそが健全で、野心ある若者を育てるのではないでしょうか。そこから面白いものが次々に生まれて、都市の魅力につながっていくはず。
わずかでもその実現の一助を担うために、今後もストックホルムと東京の比較をとおして、魅力的な街についての考察を続けたい。文化の力で街や都市をより魅力的にできるよう、これからも編集作業を続けていこうと思います。
- プロフィール
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- 松井明洋 (まつい あきひろ)
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1982年生まれ。都市の編集者集団、MEDIASURF代表。日本橋兜町のマイクロ複合施設「K5」共同運営、同エリアのビアバー「Omnipollos Tokyo」、ビアホール「B」、コーヒースタンド「SR」なども運営。コロナ以前は東京とストックホルムをベースに世界中を回り、都市の定点観測することを趣味としていた。現在もストックホルムと東京の二拠点で活動中。