『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』、北欧の風景が果たした役割

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』、北欧の風景が果たした役割

2021/10/27
テキスト
小野寺系
リードテキスト・編集:後藤美波

孤独なプレイボーイ、ジェームズ・ボンドが触れた「温もり」

冒頭で惨劇が起きた邸宅と湖は、本作でもう一度登場する。そこでボンドは、最愛のマドレーヌと、彼女の幼い子どもとともに、束の間平和な時間を過ごすのである。手ずから料理をつくり、子どもに与えるボンド。そんな珍しい姿を、しみじみと見つめているマドレーヌ……。この温かい一家団欒のような経験は、孤独な境遇に生き、敵を殺し命を狙われるという人生を歩んできたボンドへの贈り物といえる。

「家庭」という要素は、『007』シリーズが意識して忌避してきたものだ。海外を飛び回り、各地で女性たちと情熱的な夜を過ごすジェームズ・ボンドという存在は、長年にわたり多くの男性にとっての憧れのファンタジーであり続けた。ボンドは、絶えず外の世界で羽を伸ばすことにその価値があり、それゆえに、家庭を持つことは彼の物語の終焉を意味することになるのだ。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.

1年の半分ほどの期間、雪に覆われるノルウェーでは、長い時間を家の中なかで過ごす住民が多い。そのため、断熱性や気密性に優れた快適な家が必要となる。そんな、外界から隔絶されたマドレーヌの邸宅は、むしろ温かい雰囲気を感じさせ、家族のつながりを意識させる場所となっている。シリーズ第1作でボンドを魅了したヴェスパーをはじめ女性との関係が、両親を失った少年期の孤独とどこかで結びつき、悲しみを背負っているように見えた本シリーズのボンド。彼が追い求めていた幸せがノルウェーにあったというのは、その意味で納得させられるところがある。

『スカイフォール』で描かれた「英国の現実」。時代の変化に反応してきた『007』シリーズ

だが、果たしてそれだけだろうか。本作の舞台にノルウェーが選ばれていることの意義深さを、ここからさらに追求してみたい。そのために思い出してほしいのが、「クレイグ・ボンド」第3作にあたる、『007/スカイフォール』(2012年)である。

この作品では、珍しくイギリス国内を中心に物語が展開し、衰えを見せるジェームズ・ボンドの復活劇が描かれた。そんなボンドに投影されていたのが、「英国の現実」だ。『007』シリーズは、これまで英国スパイが世界の危機を救い続けるという構図を描き続けてきた。しかし娯楽作品とはいえ、果たしてそこにいまリアリティーを感じられるだろうか。かつての国際的な競争力を失い、「アメリカの州の一つ」と揶揄されることもあるイギリスのイメージは、劇中で古い軍艦に例えられ、さらに老兵ボンドに重ねられているのだ。

そんなボンドを救うものとして登場するのが、イギリス北部、スコットランドの谷間の地、グレンコーにある生家だった。ボンドは、この古い景観をとどめる大地に帰還することで、本来の力を取り戻すことになるのだ。つまり『007/スカイフォール』は、イギリスをもう一度原点に立ち戻って見直すことで過去の誇りを取り戻そうというテーマが、裏で進行しているのである。この作品がとくにイギリス本国の観客から大きく支持された要因の一つには、この潜在的なメッセージに、イギリス人の心の琴線を震わせる部分があったのではないだろうか。

『007/スカイフォール』(2012年)予告編

ボンド映画は時代の変化に対して、つねに敏感に反応してきたシリーズである。『007/スカイフォール』におけるナショナリスティックともいえる方向性への反響は、その後、イギリスが国民投票によってEUを離脱し、政治における国家の役割を増大させ、移民への引き締めを強くした「ブレグジット」へと至る先触れだったのかもしれない。

しかし、EU離脱が決定したことでイギリスが立ち直れたのかというと、実際は逆の効果を生んだ部分が多いようだ。貿易問題や、移民の数が減ったことによる労働コストの増大で、多くの産業や流通業がダメージを受けているという指摘がなされているのである。イギリスの伝統的な産業であるスコッチウィスキー業界も、その一つだ。コストが高まることによって食品の物価が高騰するなど、「痛み」は企業だけでなく、市民たちの経済状況をも逼迫させることにもなった。そう考えると、一部で問題視されていた移民こそが、むしろ国の産業を活性化させていたともいえるのではないだろうか。それでは、ボンドが『スカイフォール』で原点に返ることによって立ち直ったように描かれたのは、根拠のない希望的観測に過ぎなかったのだろうか。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
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作品情報

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

2021年10月1日(金)から公開中

監督:キャリー・ジョージ・フクナガ
脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、スコット・バーンズ、キャリー・ジョージ・フクナガ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ
出演:
ダニエル・クレイグ
ラミ・マレック
レア・セドゥ
ラッシャーナ・リンチ
アナ・デ・アルマス
ベン・ウィショー
ジェフリー・ライト
ナオミ・ハリス
レイフ・ファインズ
配給:東宝東和

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