コンプレックスは隠していい。戸田真琴が考えるありのまま愛すること

「ありのままの自分」って、一体何だろう。私たちは必ずしも、自分の嫌な部分もポジティブに見つめて、それを何とも思っていないふうに振る舞わなくてはいけないのだろうか。

「自分のすべてを愛する」ことが称賛され、推奨される時代。いまこれを読んでいるあなたも、同様のメッセージを街中の広告やSNSで見たことがあるのではないだろうか。しかし、自分を認めることこそ、じつは難しい。他者は肯定できても、自分自信は肯定できないこともある。そう簡単に折り合いをつけられないのだ。

戸田真琴は表舞台で活躍するひとりの表現者として、まわりから「ありのままの戸田真琴が見たい」という言葉を受けることがあるという。でもそれって、本当に美しいことなのだろうか? そんな思いをもとに、連載11回目は「コンプレックスと自分らしさ」をテーマに綴ってもらった。「自分らしく生きること」に悩むあなたに、このコラムが届きますように。

連載:『戸田真琴と性を考える』
AV女優兼コラムニストの戸田真琴による、激変する現代の性について思いを綴るコラム連載。「セックス」「生理」「装い」など、さまざまな視点から性を見つめていく。

>これまでの連載一覧はこちらから

「ありのままの自分を愛する」時代に考える、コンプレックスとどう生きていく?

あなたには、コンプレックスはありますか?

「コンプレックスを味方に」「ありのままの自分を愛する」といった趣旨の広告を打ち出す企業も増えてきた昨今、自分自身のコンプレックスを認めることに対して、世間の態度は前向きになってきた気もします。ここ数年は、ふくよかな体型を生かしたプラスサイズモデルや、そばかすなどそのままの肌の質感を生かし、容姿の特徴にポジティブな印象を与えるモデルが多く活躍していたりと、一昔前は画一化された美の基準を目指す表現の多かったファッション・ビューティー業界も、どんどんと価値観をアップデートしつつあります。すっぴんからメイクの過程を見せていくインフルエンサーは支持され、逆に加工しすぎたSNSの写真に厳しい意見を言う人を目にすることもしばしば。「無理をしないほうが好感度が高い」時代になってきたのかな、と個人的には感じています。

戸田真琴(とだ まこと)
2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラムなどを執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に、2020年3月には2冊目の書籍『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発売した。

「ありのままの美」を打ち出した広告などのクリエイションは見ていても個性的で面白いものも多く、それを目にする人は「自分でもこんなふうになれるかも」「ありのままでも愛されるかもしれない」という期待を掻き立てられます。しかし、ふと鏡の前に立つと、そんなの無理に決まってる、と途方もない気持ちになることもあります。

他人基準の「モテ」やルッキズム的価値観から、自分自身が基準になる美のあり方へと変化したこと自体はすばらしいと思いますが、「自分が自分を愛する」って一体どういうことなんだろう? 自分のことを好きじゃないと思う私 / 僕は間違っているのだろうか? と感じる人も、きっと少なくないでしょう。

私自身コンプレックスの塊で、いくら自分のいいところをたくさん見つけても、ふとしたときにどうしても好きになれない部分への暗い気持ちが襲ってきます。自分の嫌いなところを指折り数えて生きてきた、コンプレックスを味方につけきれない私たちの、リアルな「自分自身の愛し方」ならぬ「折り合いのつけ方」を、今回は一緒に考えていきたいと思っています。

「美の価値観」を選ばなくてはならないのか

そもそも、コンプレックスのふるさとはどこなのでしょうか。

私たちは、自分の顔や身体のどこかに嫌なところ・隠したいと思うところを見つけたときにはすでに、コンプレックスを抱えています。ニキビを隠そうと前髪を下ろしたとき、まぶたを二重にしようとアイプチを買ったとき、痩せたくて夕飯を半分残したとき、私たちはすでに、コンプレックスを心に育てていました。もしもこの世に自分しか人間がいなかったら、きっと何とも思っていないはずのことです。テレビや雑誌、広告や街ゆく人を見て刷り込まれた美のあり方や、友達や家族、いじわるな人やいじわるである自覚がない人、さまざまな人に指摘されたり揶揄されたりして、初めて自分の顔や身体の一部を「よくないもの」と認識する、そういった経験をした人もいるでしょう。

コンプレックスは、あなたの気持ちのせいでも、そのパーツ自体のせいでもなく、この世の中にとって「それ」がどういう角度で見られたか、どんなふうに評価されたか、といった外的要因によってつくられたものです。コンプレックスを上手に隠す方法を手にしたり、あるいはそのまま気に入ることができたとしても、世間の価値観のあり方が変容しきるまではまだ時間がかかります。外の世界と接続しているうちは、治りかけの傷を重ねて傷つけられることがないとも言い切れないため、それを愛するということは、とうぜん容易ではありません。外の世界と接続しているうちは、治りかけの傷を重ねて傷つけられることがないとも言い切れないからです。

 

また、背伸びをしないで自分を愛することが大事だとうたわれる一方で、若年層のカルチャーではむしろ過度なルッキズムが蔓延しつづけているように思えます。TikTokでは顔が変わるエフェクトを使ってBefore / After(TikTok的価値観のなかの「可愛くない」顔になるフィルターから、「美人」になるフィルターへの変化を使った動画)や、A4サイズの紙でウエストを隠せるかどうかを見せる、痩せ型の体型を自慢するような動画を撮ったり、より小顔に、脚も細く長く加工されている写真がSNSでバズったり、ファッション誌を開くと「私はこうやって可愛くなりました」といったテーマでダイエットやメイクの方法が書かれているページがあったりと、やや極端な美への憧憬はとどまることを知りません。

「加工してもとにかく可愛いのが理想」「無加工で可愛いのが理想」「手が届かないほど美しいのが理想」「親しみやすい存在が理想」と、代わる代わる乱立していく美においての正義は、強い主張であればあるほど、別の価値観を振り落としていくことにもなりかねません。

受動的に持たされたコンプレックスをなくす正義と認める正義のどちらかを選ばなければいけないような気がしてしまいますが、もう一方の選択肢を知っている時点で、どちらかを選ぶことは多少の痛みが伴うものになってしまうと思います。私たちは、自分を愛するための方法を、何かしらジャッジメントしなくてはならないのでしょうか。

コンプレックスを過剰に責める必要も、無理に認める必要もない

「寛容」という言葉があります。最近では、ジェンダーに関わる問題について「ジェンダー寛容」といった使われ方を目にすることもありますが、本来「寛容」というのは「一定の理解を示し、許容する態度」のことを指す言葉です。なので、この場合、「無条件に受け入れるのではなく、自分らの機軸にあったものだけを許す」といった意味合いにも取れ、使い方にやや慎重にならないといけない言葉のうちのひとつでもあります。

しかし、私は自分に根づいた強固なコンプレックスに対しては、あえてこの言葉の意味のようなスタンスを取る選択肢もあるのかもしれないな、と思うのです。

「ありのままを愛する」とは言うものの、自分を織りなすすべてのことを愛することは、簡単ではありません。これから長い時間を生きていくうえで、いつかそんな瞬間がやってきたらいいな、とは思いますが、いますぐに、ありのままの自分を愛すると言い切ったところで、そこにはきっとどこかに無理が生じるのではないかと思います。

「寛容」とは、受け入れるには難しい事柄について、否定をしない、というスタンスです。あなたはあなたの嫌いなところについて、過剰に責め立てる必要も、無理に認めたりする必要もない、と言いたいのです。好きになれない部分は味方につけられなくてもいい、隠してもいい。コンプレックスという内なる敵と一つ屋根の下で共存していくこともまた、ひとつの「ありのまま」の生き方だと思うのです。

何を見せて、何を見せないのか。決めることも「ありのまま」のあなたらしさ

ここまで身体的な意味での「ありのまま」について考えてきましたが、最後に少し、精神的な部分で求められる「ありのまま」について触れて終わりにしたいと思います。

テレビのなかでしか会えなかったアイドルと握手ができるようになってから数十年、いまや有名の質は変わり、身近に感じられる人たちを親や友達のような感覚で応援する人も増えました。プロの撮った綺麗な商品画像よりも、インフルエンサーが商品を手に持っているスマホの写真のほうが広告的リーチが高くなり、私たちはますます、飾られた別世界のものよりもリアルな、自分たちの暮らしに根ざした世界観のものへと手を伸ばすようになりました。

書店には「フォロワー◯◯万人が共感」と書かれた帯の本が並び、それを開くとすかすかのページに使い古されたJ-POPのようなフレーズが載っている。それらの共感ビジネスは、低予算で確実性のある数字を求めるビジネスの需要とも合致しています。

メディアのなかで仕事として見せる顔と、オフのときの顔とに違いがあれば叩かれ、裏表がない人が「いい人」とされ、SNSのこまめな更新や素の姿を晒してくれることこそが正義だという価値観の人たちを見ることも増え、世はまさに「ありのまま」を求める時代になっていると思います。

一方で、見せたくないところまですべてを本当に晒したとしたら、実際には嫌がる人も多いのだろうな、という冷めた目線で見てしまう自分もいます。例えば、「すっぴんを見せてほしいけど可愛くなかったら冷める」とか、「休みの日の写真は見たいけど恋人がいるのは知りたくない」とか、「素直な子が好きだけど自分には取り繕ってでも優しいことだけ言ってほしい」といった矛盾した願望を抱えながら、誰かを応援している人もいるでしょう。きっと、多くの人の「ありのままの姿が見たい」という気持ちの正体は、「(自分の理想通りの)ありのままの姿が見たい」なのではないかな、と思うことが多々あります。

自分にとって都合の悪い「ありのまま」は見たくないのに、すべてを晒してほしいと願ってしまう我々は、一体他者に対して何を求めているのでしょうか。

何となく使ってきた「ありのまま」「そのまま」という言葉の指すものについて、自分自身に対しても、他者に対しても、今一度冷静に考えてみてもいいのかもしれません。私もあなたも、あなたが「ありのまま」を見たいと望む相手も、それぞれに、何を見せて何を見せないのかを選ぶ権利があります。見せたくないものは見せなくていいし、逆に誰かに何かを隠すように強制される謂れもありません。

何かを隠すことは、その何かの否定になるわけではなく、ただ、自分という存在の見られ方を選んでいるということなのです。あなたはあなたを構成するものを選ぶことができます。すこし楽観的かもしれませんが、私から見えるあなたが、「何を隠して何を見せるか、あなたによって選ばれた姿」なのであれば、それ以上のあなたのありのままなんてないのではないかと思うのです。

プロジェクト情報
『I’m a Lover, not a Fighter.』

AV女優 / 文筆家として活動する戸田真琴と、盟友である“少女写真家”飯田エリカによる、「グラビア」を見つめ直すプロジェクト。

番組情報
『Podcast 戸田真琴と飯田エリカの保健室』

毎週月曜日20時に、Apple Podcast、Spotify他で配信中。

書籍情報
『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』

2020年3月23日(月)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:KADOKAWA

『あなたの孤独は美しい』

2019年12月12日(木)発売
著者:戸田真琴
価格:1,650円(税込)
発行:竹書房

プロフィール
戸田真琴 (とだ まこと)

2016年にSODクリエイトからデビュー。その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラムなどを執筆、現在はTV Bros.で『肯定のフィロソフィー』を連載中。ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。愛称はまこりん。初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に、2020年3月には2冊目の書籍『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発売した。



フィードバック 8

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Life&Society
  • コンプレックスは隠していい。戸田真琴が考えるありのまま愛すること
About

「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。