黒沢清の語る映画界 深夜労働やモラルの欠如は作品の質を左右する

黒沢清の語る映画界 深夜労働やモラルの欠如は作品の質を左右する

インタビュー・テキスト
羽佐田瑶子
撮影:黒羽政士 編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)
2020/03/03
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古臭いモラルは、絶対に作品のどこかに滲み出てしまいます。

黒沢清

―映画業界に限らず、「ハラスメント」(パワハラやセクハラなど)も働く現場で問題視されています。映画の現場でも意識は高まっているものなのでしょうか?

黒沢:日本でもフランスでも、わざわざハラスメントを注意喚起することはなく、少なくとも自分の知っている範囲では当然のモラルとして守られていると感じます。自身が関わっている撮影現場しかわかりませんが、非人間的にスタッフを扱うような態度の人は周りでは目にしません。かつて映画会社に監督が会社員として雇用されていた撮影所の時代は、多くのスタッフが組織に所属していたので、理不尽なことを個人に押しつけることはあったかもしれませんが、今はフリーランスのスタッフが多く、自分たちの後ろ盾になるものがなにもないので、そんなことをしていたら次の仕事がなくなるのではないでしょうか。

今はだいぶ改善されましたが、約10年前は現場に女性スタッフが少なかったので、女性を必要以上にチヤホヤしてしまうという意味でのハラスメントはありました。たとえば、女性スタッフが重い荷物を持っていると、誰かが男性スタッフに「(女性なんだから)持ってあげたら?」と、ついいってしまう。そうした性差による先入観で、女性としてひとくくりにされてしまうことを迷惑に感じた人もいるのではと思います。今は男だろうと女だろうとやるべきことはやる、という雰囲気になっていますね。

黒沢清

―時代とともに、無意識でも意識が変わってきたということですね。

黒沢:そうでしょうね。特段世間の動向にすごく敏感なわけではありませんが、作品を作っている無意識の世界観というのは作品に関わります。古臭いモラルは、絶対に作品のどこかに滲み出てしまう。僕の知らない現場のことはわかりませんが、この業界、案外モラルのきちんとしている人たちが集まっていると、僕は信じていますね。

―別のインタビューで、監督は脚本を書かれる際に「女性を女性らしく、男性を男性らしく描きすぎないように気をつけている」とおっしゃっていました。作品の内容に関わるところでも、性差について考えられますか?

黒沢:極力、男女を入れ替えても構わないキャラクターを書いているつもりですが、どうしたって差が出てしまう。作品の内容となると、なかなか性差をなくすことは難しいです。撮影現場でも、男優と女優の扱いは露骨に違いますし。

―具体的にどんな風に違うのでしょうか?

黒沢:男優は簡単なメイクのみなのでギリギリに現場に入りますが、女優には専属の衣装やヘアメイクのスタッフがつき、準備のために撮影開始の2時間前に現場に入ってもらいます。つまり、男優は基本的に個性を重視しますが、女優はなによりまず美しいことが求められてしまうのです。

実は1960年代後半から1970年代前半にかけてフランスやアメリカの映画界では、こうした「男女」の考えを取っ払おうとする動きがありました。男優も女優もメイクもせず、身なりもそのままの状態で出演。マイク・ニコルズの『卒業』(1967年)や『愛の狩人』(1971年)、『ファイブ・イージー・ピーセス』(ボブ・ラフェルソン監督、1970年)などたくさんの映画が登場しました。ただ、個人的な意見として、それらは当時からあまり面白いと感じませんでした。フィクションの世界に気持ちよく入り込めないんです。同時代に、イタリアのベルナルド・ベルトルッチなど、女性を華美に演出するという、性差を思いきり強調するような全く逆の風潮の映画が出てきたのですが、不思議なことにこちらは今観ても面白いんです。

1980年代に入るとハリウッドを中心として、男は男っぽく女は女っぽく描く、いわゆる揺り戻しがありハリウッドはエンターテイメントの地位を高めていきました。日本にはそうした露骨に男女の性差を拒否した時代はありません。性差を取っ払っても面白くなるのか検証もせず、曖昧にしたまま今に至っているのはどうなんだろう、と思います。

―ただ、現場が無意識でも性差に対して態度が変わってきているのであれば、作品にも大きく反映される時代がやってくるかもしれませんね。

黒沢:僕の個人的な考えですが、映画作りに携わる人たちは映画とは素晴らしいものだ、というある種の幻想を抱いていて、少々大変なことも「映画を作っているんだ」という気持ちのいい誇らしさで乗り越えることができます。つまり、みんな仲間であり、同志なんですね。だから、男女や立場の上下といった妙な時代錯誤は脱していると信じています。

しかし、映画の内容となると、物語を伝えるメディアというのはたくさんありますが、中でも映画は最も保守的なメディアのひとつかもしれません。詳しくはありませんが、漫画は男とも女ともわからないようなキャラクターが描かれる作品もあり、とても自由ですよね。映画は生身の人間が出演してしまうためか、古典的な考えに逃げている部分があります。フィクションの中にどう落とし込めるのかが、まだまだ思案が必要な難しいところ、映画界で取り組みたい課題のひとつですね。

黒沢清

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作品情報

『スパイの妻』

2020年6月にNHK BS8Kで放送
監督:黒沢清
脚本:濱口竜介、野原位、黒沢清
音楽:長岡亮介
出演:
蒼井優
高橋一生

プロフィール

黒沢清(くろさわ きよし)

1955年生まれ。立教大学社会学部卒業。83年『神田川淫乱戦争』で商業映画デビュー。97年公開の『CURE』で世界的な評価を集め、その後も話題作を次々と発表。2019年『旅のおわり世界のはじまり』が公開。2020年6月に、『スパイの妻』がNHK BS8Kで放送されることが決定している。

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