植本一子、幡野広志、igoku編集長が死を綴る 人生は誰のもの?

「自分の人生は自分のもの」――それは、いまを生きる私たちにとってひとつのキーワードとも言える言葉だ。しがらみから解き放たれ、自分の在りたいように生きていく。そのために働き方を変えたり、旧来制度の変更を検討したり、変革を起こそうとする動きも見られる。

しかし、自分の人生の終わり、すなわち「死」に関してはどうだろう?

オランダでは積極的安楽死(自らの意思を持って安楽死を選択すること)が認められ、いまでは年間6,000人以上が、自分で死を選択しているという。北欧・スウェーデンでは「デス・クリーニング(死のお片づけ)」として、死を予見したタイミングで前もって「遺品処理」を行うこともあるというが、日本では、「生きている最中」の私たちの自由はよくよく議論されても、死に際の自由はまだ、少し遠いものだと認められている印象を受ける。しかし、人生の自由や所有権を考えるのならば、その終わりまで考えることが必要なのではないだろうか……。

そんな思いのもと、本企画では、写真家の植本一子、幡野広志、そして、福島県いわき市発の福祉メディア「igoku」で編集長を務める猪狩僚の3名に、「死」をテーマにしたエッセイ寄稿を依頼した。

植本は夫・ECDが2018年に亡くなるまで、死の傍らでともに時間を過ごしたが、いまも夫の死をどう受け止めていいかわからないという。幡野は2017年に多発性骨髄腫を発症し、現在も闘病中だ。猪狩は福島県いわき市の職員として働きながら、地域包括に関するメディアの編集長として、いわきの高齢者たちの人生を世に伝える活動をしている。「死」との関わり方は三者三様で、それぞれ感じることも、考えることも異なってくるはずだ。

生きとし生けるものなら等しく、いつか迎える終わりのとき。この記事があなたにとって、普段は遠くに据えているかもしれない死、ひいては人生トータルでの自由を、考えるきかっけになることを願って。

身近な人を失うときに / 「『降伏の記録』の傷み」 テキスト:植本一子

大きな事故などにあったこともなく、死にかけるような経験が自分にはなかった。2年前までは。

夫のガンが発覚し、一年ほどたった夏の終わり、私は必死にパソコンに向かっていた。2017年に出版した『降伏の記録』という本の書き下ろし部分を書いていた。これまでの夫への複雑な思いがあり、いま書かなければ二度と向き合えないと、それを必死に綴っていた。

その頃夫は入院中だったものの、夏休み中の子供たちがそばにいては集中できないと、友人に預かってもらうようお願いしたほどだった。夫とも自分とも向き合えないまま終わってしまうのは絶対に避けたい、という焦燥感だけがあった。

撮影:植本一子

数日かけて書き終えると、気がぬけたせいか頭痛が起こった。発熱もあり、熱中症かと思っていろんな方法を試したが、頭痛は一向に治らず、高熱が出るようになった。疲れが溜まっているのだろうと思った。夫の闘病が1年続き、家事も育児も自分が担い、限界だったのだ。

しかし、酷すぎる頭痛にあっという間に動けなくなったとき、これはただごとではないと、初めて「死」がよぎった。結局、紆余曲折あり、救急車を自分で呼び、たらい回しにされたあげく、大きな病院へ運び込まれた。頭ということもあり、MRIやCTを浴びるほど撮ってみたが、脳に異常はみられない。体中くまなく検査し、この結果で何もなければ家に帰ってもらうことになります、と言われ冷や汗をかいた。最後の最後、骨髄から髄液を注射針で採る検査で、私の血液中にはウイルスがいることがわかった。生まれて初めての髄膜炎。もちろんそのまま入院、周りを巻き込んでの大騒動だった。

呂律も回らず、朦朧とした頭で、原因はウイルスなんかじゃないと思った。もちろんウイルスではあるのだが、あそこまで自分を追い詰めて書いたからだろうと感じた。自分を切り刻むようにして書いた原稿は、精神だけでなく肉体にまで被害が及んだのだ。自傷行為のようなものだろう。だからこそ、自分では恐ろしくていまも読み返せない。

あの時の痛みも、思いも、もう二度と経験したくないと思う。

自らが難病と向き合う / 「死人の本音を聞いてみたい。」 テキスト:幡野広志

「あなたの命は誰のものですか?」もしもこんな質問をされたらどう答えるだろうか? 「わたしの命は、わたしのものです」。ほとんどの人がこう答えるとおもう。

そりゃなかには、わたしの命は神のものですとか、大好きなアイドルに捧げてます、とかそういう人もいるかもしれない。戦争をしていた時代ならば、ぼくの命は国のものです。という人もいただろう。さらにずっとずっと昔の時代なら、人身御供や人柱として集落のために命を捧げた生贄だっていたはずだ。

自分の命を自分のものではないと答える人は、自分の命よりも大切なものが見つかっている人なのかもしれない。いいことでも悪いことでもない。そういう価値感の人もいれば、職務をまっとうするために命をかける人だっている。

©Hiroshi Hatano

常識というのは時代や環境で変わる。「わたしの命は、わたしのものです」と答える人がおおいのは、きっとそれが現代の常識だからだ。

どんな業界にも常識がある、しかしその常識は一般社会では非常識であることはよくある。医療業界では、あなたの命はあなたのものではない。あなたの命は、あなたの家族のものだ。ぼくは病気になって、一番衝撃的だったことが医療業界の常識だ。

家族のための命と聞くと、もしかしたらいい話のように聞こえるかもしれない。 しかし生殺与奪権を家族が握っているといいかえると、もしかしたら地獄のような話かもしれない。

©Hiroshi Hatano

あなたは自分が死ぬとき、どんな死にかたがいいだろうか?

延命治療をうけたくない人もいれば、延命治療をうけたい人もいる。植物状態や認知症になって家族に迷惑をかけるならば、死にたいとおもう人もいれば、どんな状態でも生きたいと考える人もいる。

カレーが好きな人もいれば、刺身が好きな人だっているのだ。ランチを選ぶときですら人それぞれなんだ、ぼくとあなたの価値観だってまるで違う。生きかたや死にかたの価値観は人それぞれだ、だから否定なんて意味はない。

ぼくは死ぬことは仕方ないとしても、苦しんで死にたくない。苦しさというのは、呼吸や痛みなどの身体的なことだけではない。ぼくが病気になって理解したのは、自由を奪われることの苦しさなのだ。

©Hiroshi Hatano

選択肢がないこと、好きなことができないこと、役に立てないこと、自由を奪われることで、人は生きる価値を見失う。生きがいというのは、自由があってのことだ。

医学的に心臓が動いていることだけが、生きているということではない。

家族というのは1分1秒でも長く、患者に生きてほしいと考える。生きてほしいから死なないように本人が希望をしていない延命治療をしたり、ゆっくり休んでと優しい言葉で本人の趣味や生きがいを奪ってしまう。

なぜ1分1秒でも生きてほしいのかといえば、自分が悲しみたくないからだ。恋人から別れをつげられて、オレは別れたくない!! といいだす人と本質は変わらない。相手の気持ちをまったく考慮できずに、自分の気持ちを優先しているだけだ。

そして、自分だったらされたくない治療を家族に強要してしまう。

©Hiroshi Hatano

体が生命活動を終えようとすると、食べることをしなくなる。食事は生きるために必要なことだから、死ぬ人には必要ではない。悲しみを先延ばししたい家族は、点滴や胃ろうで栄養を強制的に摂取させる。患者が点滴の針を勝手に抜いてしまうこともあるので、手を拘束される。体が水分を処理できずにタンが発生する、タンが原因で呼吸困難や肺炎の原因になるので、吸引器を喉に突っ込んでタンを吸引する。

強制的に食事をとらせるガチョウから作られるフォアグラが、残酷な食事だと怒る人は、ぜひ日本の医療にも怒ってほしい。

医療技術を否定しているのではない。生きることと、生かすことは違うのだ。本人が望む「生きること」ならばいいのだ、家族が望む「生かすこと」ことで患者が苦しむことがあまりにも理不尽で悲しいことだと感じるのだ。

医者は家族の選んだ選択で患者が苦しむことを知っていても、家族の選択を優先する。家族の主張を無視して、患者の希望を叶える医師は日本にはいないとおもう。患者はどんなに苦しもうが死人に口なしだけど、家族は元気だからトラブルがあると訴訟のリスクがある。

©Hiroshi Hatano

医療者を患者の家族から守る制度が整っていないから、医師は家族のいうことを聞くしかない。

患者本人が書類で意思を示そうが、そんなものは家族の一言でひっくり返される。運転免許証の裏にある臓器提供の意思表示にサインをしたって、家族が反対すれば臓器は提供されない。病院で死ぬ場合、患者の意思が尊重される保証はまったくない。患者の尊厳を保証する方法が、日本にはない。

飲酒運転が本人だけでなく、お酒を提供したお店や同乗者まで罰せられるように、患者の意思を尊重しない場合、家族と医師が罰せられるよう法律で規制されれば、意思を表示した患者の尊厳は保たれるはずだ。

家族は自分が悲しみたくない、医師は自分が訴えられたくない。利己的な考えがもとなのだから、罰則を与えて規制すればいいのだ。

ぼくは患者の尊厳を奪う行為が、いつか犯罪になるとおもっている。患者の尊厳を奪う家族が、生き地獄にいる悪魔のようにも感じる。患者の尊厳を守るどころか、家族を優先する医師に絶望を感じる。

日本の医療レベルは世界的に高い水準だ。しかしそれは助かる患者にたいしてのことだ。助からない患者にたいして、日本の医療が提供できているものは低いといわざるをえない。気づいてほしいのは、いま健康な人だって、いつか全員助からない患者になるのだ。

あなたの命はあなたのものだ、好きにすればいい。 しかし人の命までもが自分のものだとはおもってはいけない。

©Yukari Hatano

そばで死を見つめ続ける / 「あなたの命はあなたのものだと、言えるように……」 テキスト:猪狩僚

私はいま、福島県いわき市役所の地域包括ケア推進課で働いています。いわゆる市の職員ですが、「igoku(いごく、いわきの訛りで「動く」の意)」という、いわきの地域包括ケアに関する情報発信を行うメディアや体験型イベント企画のプロジェクトを2年前に始め、その編集長を務めています。

プロジェクトのミッションは、「老いては子に従え」とか「介護が必要になったんだからしょうがないよ」ではなく、人生の最期まで、どんな状態になっても、「あなたの人生はあなたのもの」という社会にすること。編集チームのメンバーは、私と同年代で、同じように医療も介護も全然知らない地元のライターやデザイナーたちです。「マジメに不真面目」をモットーに掲げて、重いテーマに取り組んでいます。

いわきの老人と「igoku」(撮影:小松理虔)

年4回発行のフリーペーパーの特集は、創刊号が『やっぱ、家で死にてぇな!』(2017年12月)、第2号『いごくフェスで、死んでみた!』(2018年3月)、第3号『パパ、死んだらやだよ』(2018年8月)と、これでもかと「死」に関するテーマが続きました。が、市民の皆さん、医療介護の関係者の皆さん、おおむね面白がってくれているように感じています。もしかしたら、東日本大震災で、私たちの地域全体が多くの悲しみとともに、命に限りがあることを痛感したことも関係しているのかもしれません。

いごく第2号『いごくフェスで死んでみた!』表紙

創刊前、福祉業界が初めてだった私は、いろんな所に顔を出し、お医者さんや介護の方、いわきに暮らす「ジッチ」「バッパ」に会いまくりました。「94歳のヨガの達人がいるらしい、しかも、毎年、1人でインドに修業に行くらしい」という噂を聞いては、実際に会いに行くという感じです。私が会うジッチやバッパは、誰ひとりとして人生や死を悲観することなく、それぞれに人生の目標ややりたいことを持っている人ばかり。まさに、自分の人生の最後の最後まで、自分に課せられたことを全うすべく、健康に気遣いながら人生を楽しんでいました。

そんななかで、8年前の震災でお店も家も全てを失いながらも、孫が修行から帰ってくるまで頑張ると言って、和菓子屋を再建された88歳のパイセンや、所属先も職種も異なる医療と介護の方々が、仕事が終わってから集まって、よりよいケアのために勉強会を開いていることなどを知り「素敵な人たちやその取り組み、思いを届けたいな」と考え始めました。

撮影:小松理虔
撮影:小松理虔

同時期に「人生のたとえ99%が不幸だとしても、最後の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」というマザー・テレサの言葉にも出会います。「待てよ、この言葉、逆にしてみたら、人生の99%が幸せだったとしても、最期の1%、つまり亡くなる時が不幸だったら、その人の人生は不幸なことになるってことだよな」と思いました。

「こんなに歳を取ってイヤになっちゃうねえ」とか「死ぬなんて縁起でもないこと言わないで」とか。必ず訪れるものなのに、直前まで目を背けてしまう。それが「死」です。難しいけど、このタブーを乗り越え、老いや死をちょっとだけでも考える。そして、自分がどう最期を迎えたいのかを大切な誰かに伝えられたらと思うようになりました。それが現在の活動の原点です。

じゃあ、どうやってタブーを超えたらいいんだろう。ぼくたちが見つけた、今のところの答えは「悪ノリ」です。だって、真面目に死ぬことを考えたら、考えるの嫌になりませんか?

悪ノリして、気軽にやってみる。自分を演じてノッてみる。頭でだけ考えないで、体で体感してみる。すると、普段考えない「死」に、細いけれど道が通るような気がするんです。

そういうことを、ぼくたちは大切にしていきたいと考えています。「マジメに不真面目」を貫きながら、世代とタブーを越えて、老いや死を前向きに、ケラケラ笑いながら、ジメッとせずに話し合える社会を、地域を目指しています。「あなたの人生は、あなたの命は、他の誰でもない、あなたのものだから」と言えるように。

撮影:小松理虔
書籍情報
『降伏の記録』

著書:植本一子
価格:1,944円(税込)
発行:ポプラ社

『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために』

著書:幡野広志
価格:1,620円(税込)
発行:ポプラ社

サイト情報
igoku

福島県いわき市発。「地域包括ケア」を伝えるウェブマガジン。いわきで生まれて、いごいて、そして命を全うする人たちの悦び、悲しみ、楽しさもみんな脱線しながら伝えていきます。

プロフィール
植本一子 (うえもと いちこ)

1984年、広島県生まれ。2003年、キヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞し写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活動中。13年より下北沢に自然光を使った写真館「天然スタジオ」を立ち上げ、一般家庭の記念撮影をライフワークとしている。著書に『働けECD わたしの育児混沌記』『かなわない』『家族最後の日』、共著に『ホームシック 生活(2~3人分)』(ECDとの共著)がある。

幡野広志 (はたの ひろし)

1983年東京生まれ。2004年日本写真芸術専門学校中退。2010年広告写真家高崎勉氏に師事。「海上遺跡」Nikon Juna21受賞。2011年独立、結婚。2012年エプソンフォトグランプリ入賞。狩猟免許取得。2016年息子誕生。2017年多発性骨髄腫を発病。近著『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP)

猪狩僚 (いがり りょう)

いわき市役所 保健福祉部 地域包括ケア推進課 平社員。1978年いわき市生まれ。大学卒業後に、ブラジル留学したら、ちょっとハチャメチャな感じになっちゃって、いわき市役所に拾ってもらう。水道局(2年でクビ)→市街地整備(1年でクビ)→公園緑地課→財政課→行政経営課を経て、現職。逆立ちしても、役所の中じゃ出世できないので、勝手に「igoku」を作り、勝手に「編集長」を名乗る。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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