津野青嵐に訊く、元看護師だから実現できる希望ある「服作り」

津野青嵐に訊く、元看護師だから実現できる希望ある「服作り」

インタビュー・テキスト
黒田隆憲
撮影:テラウチギョウ 編集:石澤萌(CINRA.NET編集部)
2019/02/12
  • 727
  • 582

昔の儀式で捧げられた生贄が精神障害者だったり、あるいは神様として崇められた歴史を知り、興味が湧いて。

—津野さんの創作は、「見えない世界との交信」や「非日常への憧れ」がテーマになっているとのことですが、それはご自身の生まれ育った環境からも影響を受けていますか?

津野:多分に受けていると思います。私の出身は長野県で、諏訪大社の御神体と言われている守屋山の麓にある、神社の目の前に実家があったんです。小さい頃はそんなこと全然知らずに川遊びをしたり、境内に入ったりしていました。自然への脅威や土着信仰みたいなものを、無意識ながら感じていたのかもしれないですね。

津野青嵐

—ずっと長野で育ったのですか?

津野:7歳まで長野にいて、そのあと新宿に引越したんです。ど田舎から新宿・歌舞伎町のど真ん中という、ものすごいギャップに興奮しました。アングラな空気感にすごく興味を持っちゃって、寺山修司や唐十郎のような新宿カルチャーに、中高時代はどっぷり浸かっていました。

昔から隠された歴史のある事柄に興味を持ちやすく、精神科に惹かれたのも、実はそういう趣向がスタートだったかもしれません。実際に患者さんと関わってみたら、それ以上に心を揺さぶられる魅力を感じたので、仕事として続けられていましたけど。幼少期の体験、歌舞伎町での体験、看護師としての体験、全部がリンクしているんですけど、なぜ、こんなに興味が湧いているのかはいまだによくわからない。ずっと考えているんですけどね。

「ここのがっこう」の生徒はみんなファッションブランドに詳しくて、彼らに対するコンプレックスもめちゃめちゃあるんです。

—津野さんのデザインする洋服は、フォルムも独特ですよね。Twitterではスペインの謝肉祭に出てくるキャラクターついて呟いていましたが、土着的で大きな形状に惹かれるところはありますか?

津野:ありますね。調べてみると、人は信仰が強ければ強いほど、作るものが大きくなっていくんですよ。民族衣装の中には、自分の身長と同じくらいの大きさのヘッドピースもあって、「畏敬の念」を感じるくらいの迫力が、装飾には必要だった。

日本の祇園祭の御神輿も、海外からゴブラン織のタペストリーを取り寄せるなど、お金も手間もかけています。日本では、神様や魂は空間に浮遊しているという考えがあるんです。そいう存在は、非日常的で大きなものを見つけて降りてくるので、目立たせる必要があるそうです。

—そういったものに影響を受けているとなると、津野さんが作りたいファッションは日常的に身に付けるものとは少し違いますか?

津野:かなり違うと思います(笑)。私自身、ずっと太っていたから服を買ったことがなくて、全て、おばあちゃんと同じ縫い子さんに作ってもらっていたんです。

「ここのがっこう」の生徒たちはみんなファッションブランドに詳しくて、彼らに対するコンプレックスもめちゃめちゃあるんです。彼らから見ても「面白い」と思えるデザインにしたかったので、入学してからは浴びるように勉強しました。

津野青嵐

—お話を聞いていると、「ここのがっこう」の山縣さんからの影響も相当大きかったのでしょうね。

津野:そうですね。新しいものを作るためにはルーツを知る必要があること。そして、ファッションをファッションの世界だけで見てはいけないということも教わりました。「ここのがっこう」が特殊なのは、ファッションの学校なのに、言語学者や物理学者が講師として在籍したり、いろんな分野の方が講評に来てくれるんです。それで視野も広がりましたね。

Page 3
前へ 次へ

プロフィール

津野青嵐(つの せいらん)

1990年長野県出身。看護大学を卒業後、精神科病院で約5年間勤務。大学時代より自身や他者への装飾を制作し発表。病院勤務と並行してファッションスクール「ここのがっこう」へ通い、ファッションデザインの観点から自身のクリエーションを深める。2018年欧州最大のファッションコンペ『ITS』にて日本人唯一のファイナリストに選出。

Category カテゴリー

Latest Articles 最新の記事

What's "Fika" ? フィーカとは

「Fika」はCINRA.NETとVOLVOが送る、北欧カルチャーマガジンです。北欧デザインの思想の基盤を「クラフトマンシップ×最先端技術」と捉え、そこに学びながら、これからのカルチャーやライフスタイルにまつわるコンテンツをお届けします。