ミッドセンチュリーって何? 5人の北欧デザイナーに学ぶ

「ミッドセンチュリー」を代表する5人のデザイナーたち

北欧デザインの黄金期と呼ばれる1940~50年代。とりわけ家具の分野において数多くの名作を輩出したのが、デンマークであった。その名声は北欧内にとどまらず、1954年から57年にかけて『デザイン・イン・スカンジナビア展』が北米を巡回するなど、世界中におよんだ。なぜ、ミッドセンチュリー期のデンマークからマスターピースが生まれたのか? その陰には、ひとりのデザイナーであり、教育者の存在があった。北欧家具の黄金時代を築いた彼の功績と、同時代を生きた4人のデザイナーを紹介したい。

「人間工学」を提唱したデンマークデザインの父、コーア・クリント

コーア・クリント
コーア・クリント

ミッドセンチュリー期の礎を築き「デンマーク近代家具デザインの父」とも称されるコーア・クリント。いまでこそデザイン大国として知られるデンマークだが、20世紀初頭までは無名に近かった。その潮目が変わった出来事として、1924年、デンマーク王立芸術アカデミーに家具科が創設されたことが挙げられる。その初代の教授に就任したのが、クリントなのだ。

クリントが教えたことは、大きく2つに集約される。過去の名作にモチーフを見出し、時代に合わせて進化させる「リデザイン」と、身体の寸法や動きを研究する「人間工学」である。17~18世紀にヨーロッパで流行した中国趣味のシノワズリーをモダンに昇華させ、軽量化や身体を包み込むフォルムを追求した「フォーボーチェア」は、まさにクリントの哲学を具体化した椅子といえるだろう。

フォーボー美術館 写真提供 / カール・ハンセン&サン
フォーボー美術館 写真提供 / カール・ハンセン&サン

このフォーボーチェアは、1915年に開館したデンマークのフュン島にあるフォーボー美術館のためにデザインされたもので、現在もなお来館者を迎えている。

「リデザイン」によって安価で美しい家具を普及させたボーエ・モーエンセン

ボーエ・モーエンセン
ボーエ・モーエンセン

多くの後進の指導に当たったクリントだが、その一番弟子といっていいのが、ボーエ・モーエンセンである。デンマーク王立芸術アカデミーでクリントの薫陶を受けたモーエンセンは、1942年、弱冠28歳のとき、デンマーク生活協同組合連合会(F.D.B.)の開発責任者に就任する。これは、F.D.B.から「安価で、しかも機能的で美しい椅子」の開発を依頼されたクリントが、モーエンセンを推薦したためだった。

モーエンセンは、その期待に見事に応えた。恩師の教えに従い、デザインのモチーフとして、19世紀のアメリカで誕生した「シェーカーチェア」に辿り着く。そして、そのシェーカー教徒が自家用として作った質素な椅子をリデザインし、1947年、「J39」を発表するにいたる。他の名作に比べ、派手さはないが、多くの国民に愛用され、今日のデンマークでもっともよく見かける一脚である。

このJ39に合わせるダイニングテーブルとしてデザインされたのが「C18」だ。座ったときに脚が邪魔になることもなく、また椅子も自由に配置することができるように、脚の位置に工夫が見られる。部屋の大小に関係なく使用できる機能的でシンプルなテーブルと椅子からは、モーエンセンの庶民への優しさが感じられる。

J39とC18。使用シーンを限定しない脚のデザインが特徴的
J39とC18。使用シーンを限定しない脚のデザインが特徴的

木の特性を熟知した「マイスター」ハンス・J・ウェグナー

ハンス・J・ウェグナー
ハンス・J・ウェグナー

モーエンセンの親友として知られるのが、ハンス・J・ウェグナーである。モーエンセンの息子のペーターの名づけ親となり、さらに子ども用の家具を手作りして贈ったことからも、その親密な間柄がうかがえる。このときの家具は、後に「ペーターズテーブル&チェア」として市販化された。

弱冠17歳で家具マイスターの資格を得たウェグナーは、その後コペンハーゲンでデザインについて学んだ。モーエンセンが若い時分から活躍したのに対し、長らく自らのデザインの方向性を定められずにいた。1940~43年には、アルネ・ヤコブセンの事務所に勤務し、オーフス市庁舎の家具のデザインを担当しているが、ウェグナーの口からヤコブセンについてほとんど語られていないことを踏まえると、あまりいい関係ではなかったのかもしれない。

自身のスタイルを模索するなか、ふとある書物に載っていた椅子に目をとめた。それは、中国・明代の「圏椅(クワンイ)」と呼ばれる曲線が特徴的な椅子だった。そこからインスピレーションを得て、最初に発表されたのが、「チャイナチェア」であり、さらにリデザインを繰り返して1950年に発表されたのが、「Yチェア」なのだ。

Yチェア 画像提供 / カール・ハンセン&サン
Yチェア 画像提供 / カール・ハンセン&サン

製法の簡略化、コストダウンを図るために考え抜いた背もたれのYのパーツは、Yチェアの愛称の所以となった。まさに、木材を熟知するウェグナーならではといえるだろう。

木工家具の黄金時代に「新素材」の可能性を探求したアルネ・ヤコブセン

アルネ・ヤコブセン
アルネ・ヤコブセン

ヤコブセンの最大のベストセラーといえば「セブンチェア」だが、その前身は1952年に発表された「アリンコチェア」だ。そしてこの椅子は、成形合板を用いた椅子の完成形といえる。

この椅子の開発へのモチベーションとなったのは、アメリカのチャールズ・イームズの存在だった。戦後まもなくイームズは、成形合板を三次元に加工した椅子を発表するが、それは背もたれと座面のパーツが分かれていた。そこでヤコブセンは、背と座の一体化した構造を目指した。開発のパートナーであるフリッツ・ハンセン社は当初難色を示したが、ヤコブセンは自分で300脚の注文を取りつけ、メーカーの首を縦に振らせた。

アリンコチェア 画像提供 / SEMPRE HOME
アリンコチェア 画像提供 / SEMPRE HOME

そうして試行錯誤が始まるのだが、特に腰の当たる部分のひび割れに悩まされた。少しずつ削っては強度を確認し、ようやく現状のかたちにおさまったのだ。それを見た工場のスタッフが、「蟻みたい」と言ったことから、和名では「アリンコチェア」の名前で親しまれるようになったといわれる。

成形合板のシェルに対し、脚はスチールパイプを採用しているが、ヤコブセンは異なる素材の組み合わせにもこだわった。さらに脚の数は現在では4本が主流だが、もとは3本だった。円形のテーブルの場合、3本脚ならお互いの脚がぶつからず、さらに300脚が一堂に並ぶ場合にうるさく見えないように、という配慮からだろう。機能、デザイン、素材を追求し続けたヤコブセンは、まさに完璧主義者と呼ぶにふさわしい。

「芸術性」を追い求め続けた時代の異端児、フィン・ユール

フィン・ユール
フィン・ユール

上記の4人とスタンスを異にするのが、フィン・ユールだ。建築が本分のユールは、モーエンセンやウェグナーのように、家具マイスターの資格を得ていない。ユールにとって家具とは、素材や技法から入るものではなく、自身が手がけるインテリアの一部だったのだ。

ユールの家具は過去からも自由で、彫刻的で独創的であった。しかし、クリントの流れを汲む機能主義的なデザインが主流だった当時、ユールは異端児の扱いを受け、国内での評価は低かった。そのようなユールを有名にしたのが、1950年代にインテリアの設計を行なった「ニューヨーク国連本部ビル 信託統治理事会会議場」の仕事だった。最初にアメリカで、それからデンマークで認められたというわけだ。

「ニューヨーク国連本部 信託統治理事会会議場」
「ニューヨーク国連本部 信託統治理事会会議場」

国際的名声を得る以前から、ユールの独創的な家具づくりは一貫している。1940年に発表された「ペリカン」は、ユールの魅力が存分に発揮された初期の傑作。これは、ユールが傾倒していた彫刻家のジャン・アルプの影響がうかがえる。この複雑な造形を実現したのが、家具職人のニールス・ヴォッターだ。名匠として知られ、良き理解者でもあったヴォッターがいなければ、ユールの家具が世に出ることはなかったのかもしれない。

デンマーク近代家具デザインの道筋をつけたコーア・クリント、クリントの教えを受けつつも各々のデザインを追求したボーエ・モーエンセン、ハンス・J・ウェグナー、アルネ・ヤコブセン、一方で独自路線を歩んだフィン・ユール。彼らをはじめとするデザイナーの個性が、デンマークの人々のライフスタイルと融合し、世界中で支持される「デンマークデザイン」というジャンルを確立したのだ。

プロフィール
萩原健太郎 (はぎわら けんたろう)

ライター、フォトグラファー、京都造形芸術大学非常勤講師。1972年生まれ。大阪府出身。関西学院大学卒業。株式会社アクタス勤務、デンマーク留学などを経て2007年独立。デザイン、インテリア、北欧、建築、手仕事などのジャンルの執筆を中心に活動中。著書に『民藝の教科書①~④』(グラフィック社)、『北欧とコーヒー』(青幻舎)、『北欧の日用品』(エクスナレッジ)、『写真で旅する 北欧の事典』(誠文堂新光社)、『北欧デザインの巨人たち あしあとをたどって。』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。最新刊は『伝統こけしの本』(スペースシャワーブックス)。

Ryuto Miyake (りゅうと みやけ)

東京生まれ。イラストレーターとして雑誌、書籍、ファッションブランドなどで活動する傍ら、デザイナーとしてレコードレーベルなどのグラフィックを手がける。



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「幸福度が高い」と言われる北欧の国々。その文化の土台にあるのが「クラフトマンシップ」と「最先端」です。

湖や森に囲まれた、豊かな自然と共生する考え方。長い冬を楽しく過ごすための、手仕事の工夫。

かと思えば、ITをはじめとした最先端の技術開発や福祉の充実をめざした、先進的な発想。

カルチャーマガジン「Fika(フィーカ)」は、北欧からこれからの幸せな社会のヒントを見つけていきます。

スウェーデンの人々が大切にしている「Fika」というコーヒーブレイクの時間のようにリラックスしながら、さまざまなアイデアが生まれる場所をめざします。

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